日本から先に空輸されていたマシンは、
フランクフルトにある運送会社を経由し、
バッテリーを取り外しただけの状態でこちらの手に渡された。
電解液を補充し、待つ事約20分。
エネルギーをたっぷりと蓄え終えたバッテリーは
勢いよくセルを回し続け、タンクの底に微かに残されていたガスが、
エンジンの中で火を噴いた。
グォッ! バァン!・・・・ グゥオッ!・・・・
ハジけるような咆哮を発て、GSX−Rは旅の眠りから目覚めた。
(よし、いよいよだ。行くぞ!)
バトルスーツに身を固めたオレは、
雄叫びを上げるマシンに打ち跨がった。
さっそく、大通りに出てすぐのところにあるGSを目指して走り出し、
フルレベルまでガスをチャージする。
ドイツのガスは大まかに言って、ただのベンツェン(ガソリン)と、
スーパーとの2つに分かれていた。
日本で言うところのレギュラー/ハイオクと同じ関係なのである。
こいつには圧縮比アップ等の問題から、
「必ず100オクタン以上のガスを使うように」と、
くれぐれも真田より念を押されていた。
その中でも最高のスーパー・フェルブライトを食らわせてやった
当然、タイヤのエア圧等も、すべて再チェックする。
いかに完全整備の状態で木箱に封をし日本から送り出していようとも、
ひとたびストリートに乗り出したならば、
そのいかなる結果も、結局はすべて、
自分で責任を負わなければならないからだ。
サーキットの世界よりも、遥かに泣きは通用しない。
オレはアウトバーンへとGSX−Rを走らせた。
同行している編集部の人間とカメラマンは、レンタカーで着いて来る。
下道を走ること5分ほどで、いよいよアウトバーンへと入り込んだ。
5号である。
ここから7号へ入り、フランクフルトからハノーバーまで、
一気に走り切るつもりであった。
完全な片側4車線の道が、延々と続いていた。
傍らの表示に目をやると、ここから18kmほどは、
まったくのストレートが続いているらしかった。
まさに、矢のような流れであった。
一番右の、トラック専用のようなレーンでも
80km/h〜100km/hの間。
次に遅いレーンで、約150km/h〜170km/hほど。
そして・・・・一番左のパッシング・レーンでは、
約200km/h前後でみなブッ飛ばしている。
速い!
いちおう都市近辺では、さしものアウト・バーンも120km/h、
場合によっては80km/h、という最高速が決められていた。
だが、我が国の高速道路の追い越し車線を走る人々が、
ほとんどその法定最高速を越えて流れているのと同様に、
ここでもそれは事実上、有名無実の取り決めに過ぎないようであった。
(この流れならば・・・ここなら、楽勝だ)とオレは思った。
しかし、まだ飛ばさなかった。
飛ばしている連中を横目に、回転を低く押さえたまま、
第2レーンと第3レーンを流れにまかせてウロつき、様子を見ていた。
日本であればオレは、どのようなパターンの道路は、
どのように変化するかが読める。
どのような車種に乗った、どのようなドライバーが、
どのような行動パターンを起こすのか、オレには読むことができる。
極端な話をするならば、前を行くクルマのルームミラーに
映っている、ドライバーの眼球の動きを読み取り、
その人間がどのくらいの余力を持って、
クルマをコントロールしているのか、オレは知ることができる。
その後の動きすら、推定する事が、出来る。
そして、そんな情報から判断し、万が一、
不意のパニック状態に陥った場合、回りのクルマが
どんな技術レベルで、どんな動き方をするのか、
ある程度シミュレーションすることが出来る。
しかし、ここは西果ての地(向こうが日本を極東と見るならば?)
西ドイツなのである。異国なのだ。
物の考え方や常識というものが、日本とはまったく違うハズなのだ。
いや、そう決めつけてかかるべきなのだ。
良い悪いは別として、人はひとたび何か事が起こると、
まずは自分の常識というものに従ってその行動を起こす。
ではアウトバーンにおける、ドイツ国民の常識とは何か。
少なくともこいつを探らない限りは、
この道を猛烈なスピードでブッ飛ばす、ましてや、
他国の人間がそいつをやろうなんて、絶対許されることではない。
これは、結局は自分の命にかかわって来ることなのだ。
以前に走ったアメリカの走り屋のメッカ、マルホランドや
エンジェルクレストでヤンキー達と3日間に渡り
バトルをやらかした時も、こいつはキッチリと守ってからやった。
スピード狂とただのバカは、同義語となってはならないのだ。
最大の目視確認は、事前の話で聞いていたように、
「追い越しは絶対に左側から」
という大鉄則が、いかなる場合でも本当に守られているか、
という事と、
「追い付かれたクルマはどのような速さで道を譲るのか」
ということの2点であった。
大方は、噂通りのものであった。
車速に合ったクルマの流れはキチンと守られていた。
追い越し時はみな例外なくウインカーを点け、
そして必ず左側から抜いて行く。
追い越しが終わったならば、基本的にみな、
すぐに元の車線へと戻っている。
最高速で走り続ける一番左のパッシング・レーンでも、
自分より速いクルマに追いつかれたならば、
必ず右へ入り王道を譲っていた。
全車線を使って走りながら、あらゆるクルマを追い抜いて行く。
右が詰まっていれば左から。
果ては路肩を使って全開でブッ飛んで行く・・・。
それが珍しい光景ではないという日本の高速道路からしてみれば、
そのマナーの徹底した良さというのは呆れるほどであった。
この国では、老いも若きも、男も女も、みんなこれは守っていた。
誰かがそれをすこしでも崩し出してしまったら、
この超高速道に残されるのは恐怖のみとなる。
それが分かり切っているから、誰も大鉄則を崩そうとはしないのだ。
オレは日本は、こと、この手のことに関しては、
あと何十年経とうと、絶対こうなるまいと思った。
恐らく、永遠に、無理であろと。
自動車を文化として来た国と、そうでない国の、
決定的な、そして埋め難い差なのだと感じていた。
しかし、例外もオレは決して見逃さなかった。
例えば、車線間の速度差が何らかの理由で近づいてしまった、
というような場合や、高性能なクルマが合流から、
一気に入り込んで来るような場合には、右側から、
スッと抜いていかれる事も、何度かはあったのだ。
もち論、それでも、それは相手に対して、
失礼になるようなほどのものではないものではあったが。
そして、一番左の最速レーンを180km/hくらいの低速で走り続け、
後ろから何度パッシングの嵐を浴びせかけられても、
ガンとしてどかないクルマも、存在していた。
ミラーを、良く見ていないのである。
日本を出る時には、ドイツ通と称する人々より、
これらのクルマは「いない」と聞かされていた。
確かにその話は、大筋では間違ってはいない。
しかし自分の目でこのように直接確かめてみれば、
オレがアウトバーンをブッ飛ばすにあたって存在してはならない、
それらのクルマ達は、やはり少数とはいえ、存在していたのである。
いかにドイツ通といえども、人の目で見た物や話と言うのは、
決して鵜呑みにしてはならないのだ、と改めて思わされた部分であった。
(自分の目で見た物以外、決して信用するな!)
(そして決断は、自分で下せ!)
アタックするときに、この事は絶対忘れるまいと思った。
手の内は、読めた。
オレはGSX−Rを、森の中にあるパーキング・エリアに入れた。
4車線のストレートはフランクフルトのあたりのみで、
大半は3車線の道、場合によっては2車線の部分も相当ある、
という事も分かって来ていた。
そして、山間部では思っていた以上に道は蛇行しているということも。
半径が大きいために、通常の速度では直線扱いしているコーナーでも、
200Km/hを越える世界では、充分なキツさを持つ
コーナーとなるということも、充分に分かってきいてた。
(第三京浜の、ドイツ仕様・豪華バージョンてところか!)
オレはこのパーキングから単独で、
いよいよアウトバーン本来の走りに入る事にした。
矢は、放たれた。
つづく