アプローチを抜け、合流するために、
オレは初めてGSX−Rに本当のフルパワーを与えた。
チンタラ回さない。
レッドを無視してガンガンブン回す。
マシンは野獣の雄叫びを放ち、スピードメーターの針を
信じられない早さでグイグイ押し上げて行く。
面白いほどの速さで車速が増して行く。
とにかく、ローも、セカンドも、サードも、引っ張るといった
感覚がないほど、アッという間にフケ切ってしまうのだ。
ふつうは、どんなに速いオートバイと言えども、
ギアをチェンジするときには、一瞬とはいえ、
針の動きが鈍るので、およそ何キロぐらいのときに
次のギアへとチェンジしたか分かるものだ。
ところが、こいつと来たら、それがまるでひとつのギアで
引っ張り続けたように、切れ目なく一気にハネ上がってしまうので、
一体何速で、何Km/hのときにチェンジしているのか、など、
ほとんど分からない。
そしてその間、絶える間がなく、ノーマルのGSX−Rとは
比較にならないほどの、強烈な加速Gに、
体が引っ張り続けられているのである。
1100のように、ドカッと来る加速ではない。
1100は、そのキャパシティから来る大トルクに物を言わせ、
開けたトタンに、下からズウォ!と来る。
だからもし、このバイクと1100を普通の道で乗り比べたら、
大半の人は感覚的にやはり、1100の方がすごい、
と感じてしまうかもしれない。
しかし、ひと度このようなハードな道に入り、
何のためらいもなくフルスロットルにすることを許されるのであれば、
その立場はあっけなく、いとも簡単に逆転する。
一度ローでレッドに入ったが最後、クロスミッションは、
いくらチェンジしても、パワーバンドから絶大な加速力を
掴んで離さず、強力無比なGをライダーに与え続けるのだ。
4速とて、それはまったく同じである。
スピードメーターの針を、たちまち200Km/hを、
遥かに越えたあたりにまで、押し上げる。
結果として、一気に最高速レーンに流入したにもかかわらず、
オレは前のクルマに、いきなり追い付いてしまった。
しかし、今度は遠慮は一切しなかった。
ガンガンと、イエロー・バルブのパッシングを放ち、
BMWだろうが、アウディだろうが、全部どかし始めた。
ガー! と追い迫るGSX−Rをミラーの中に見て、
みんな、一応は引き離しにかかる。
が、すぐに諦めて、右へと移って行く。
最後まで粘っていたアウディが、約220Km/hぐらいで道を譲った。
250Km/hぐらいまで、そのまま引っ張った。
加速力は、車速に関係ないがごとく、ほとんど変わろうとはしない。
(やっぱりこいつはバケモノだ!)と思った。
5速に入れると、遠くに黒っぽい点が、見え出した。
全力加速を一時やめ、230Km/hぐらいに落としてから
、 だんだんと黒い点との差を詰めて行った。
黒い点は、ポルシェの911カレラだった。
追い着いた時には、200Km/hぐらいまで車速は落ちていた。
パッシングをかませた。
カレラが、加速した。
210Km/h、220Km/h、230Km/hと、
徐々にポルシェのスピードは増して行く。
それがあまりにも遅いので、オレはカッタルくて仕方がなかった。
こいつなら、その倍速で・・・・車速は増えて行く!
直後に張り付いて、もう一度パッシングした。
先行するポルシェのスピードは、240Km/hを少し
越えたあたりで頭打ちになっていた。
ポルシェがウインカーを出して、ゆっくりと右へズレ出した。
どくか、どかないか、のうちに、オレは4速へ再び叩き落とし、
一気に前へと踊り出た。
すぐに5速へと入れ直した。
ポルシェはミラーの中でどんどん豆つぶと化していった。
前には、もう追い越し車線をふさいでいるクルマは、いなかった。
一気に270Km/hあたりまで、引っ張った。
(まだ、ちゃんと加速する!)
これは本当に300Km/h行っちゃうぞ! と思った。
その手応えは充分にあった。
ふつういかなるスーパー・バイクといえども、
このあたりまでの領域となると、さすがにほとんど
加速らしい加速など、しなくなって来るものなのだ。
この時点で、オレは過去に体験して来た、実速の経験値を、
すべて葬り去ってしまっていた。
これから先は、未知の世界へと突入して行くのだ。
今まで無事に生き延びてこられたのは、どんな判断、
何の決断のおかげであったのか、よく思い出す事だ、
と自分で自分に言い聞かせていた。
いかなる知識も、訓練も、経験というものの前には、
さしたる意味は持たなくなる。
このようなマシンを乗りこなす時に必要なのは、
勇気や度胸ではない。
それは責任感であり、道路が完全にクリアーになったときのみに、
初めてフルスロットルを与えるという、大きな決断力なのだ・・・・
ギアはついに、最終章である6速目へと放り込まれた。
オレはこの時、現在のいかなる高性能バイクといえども、
なぜその最高速がみな、一様に270Km/h前後を境にして、
頭打ちの状態となってしまっているのかが、
分かるような気がした。
カウルの、ある、なし、そしてその形状にもよるので、
これは決して一概には言える事ではないが、
オートバイという乗り物は、ブッ飛ばして行くと、
おおよそ200Km/hのあたりを境として、
一度、ライダーは我慢がならないほどの、空気の壁を感じる。
無論、これは完全なカウルがあり、
その中に潜り込んでいる場合には、
まったくと言っていいほど感じられないことである。
しかし、そのカウルから身体を起こし、
空気の壁にヘルメットを完全にブチ当てていたような
場合や、カウルそのものが無いバイク
−−そう、それは例えばオレが生まれて初めて200Km/hの
世界を体験した、元祖ナナハン・CB750 、
あるいは、今オレが日頃足がわりとして乗り回している、
V−MAXなどのオートバイ達である−−
の場合には、これは如実に感じ取る事が出来ることだ。
ゆえに、これら空気の壁とまともに戦って
走るオートバイというものは、性能のいかんにかかわらず、
その200Km/hというあたりが
現実の最高速ともなっているわけなのであるが・・・・。
それと同じような空気の壁の存在を、
この270Km/h〜280Km/hというあたりで、
もう一発強烈に感じ始めたのだった。
ちょっとでもカウルから身体を起こすと、
まるで鯉の滝登りでもやってるかのごとく、それまでとはまた、
一歩も二歩も違った、猛烈な抗力を感じ始めたのだ。
「頭を出すから悪いのであって、出さなければそれで済む話・・・」
これが、そうはならないのだ。
非常に透明度の高い、しかも無着色のガラスを通して
前を見ている4輪車と違って、オートバイに取り付けられている
プラスチックのシールドというのは、実に見にくいものなのである。
そこへ持って来て、超高速で叩き潰された、わけの分からない
虫の死骸が、バンバン張り付いている。
スピードがスピードなので、大型の虫などは、
まるでB・B弾のペイント弾のようにさえなる。
揚げ句に、ヘルメットのシールドにも着色があった。
だから、前の方の路面状況を確認しつつ走るには、
どうしても、たまには頭を持ち上げ、カウルの上から、
ヘルメットのシールド越しのみの視認をもって、
走らざるを得なくなってしまうのである。
それも、半端に上げると、スクリーンの上縁に
取り付けられているゴムに目線を切られてしまうので、
けっこう思い切って、上げる。
すると、すさまじい空気の塊が、重いのが、ドッと襲って来る。
しかし、これはやめるに、やめられないことだった。
角材の一本でも落ちてた日には、それで一発でおしまいだからだ。
ここでちょっと面白い話を付け加えておこう。
このような、超高速の空気の流れの中でも、その大抵抗と
戦わざるを得ないのは、ほとんどがヘルメット=首の筋力
だけであり、あとは、手も足も、特にどうと感じるほどはない、
ということだ。もっと正確に言うならば
「問題になるべきほどの風圧は、喰らわない」
ということであった。
恐らく、すさまじい風圧を喰らうだろうと思い、
バトル・スーツのプロテクター類は、
すべて通常のベルト留めを廃し、
リベット留めに改造して来ていた。
しかし、意に反して、両サイドの空気は、かなりの
面積にわたってカウルの前面でハジキ飛ばして
しまうらしく、その必要はなかったのだった。
ただし、それはもう一度書くが、あくまでもカウルの中に
潜り込んでいる、という大前提での話だ。
とにかく、そのような速度域での空気抵抗というものは、
中途半端なものではない。おそらくこのような空気抵抗を
体験できるのは、世の中でもバイク乗りしかいないのではなかろうか。
シールドが押され、完全に鼻にくっつく。
フルフェイスであれば問題はなかったのだが、
オレは、ジェットヘルだ。
鼻にくっつくどころではない、押し潰され、漫画のような顔になる。
そして、猛烈に引っ張られるアゴ紐が喉に食い込み、
顔が鬱血して来るのが分かる。
この力がどれほどすさまじいものかは、
後日オレが例えた話で良く分かると思う。
「どのくらいすごいかって? かなり具体的に言うと、
テーブルの上に仰向けになり、首から上を縁から出す。
そして、その飛び出た状態の頭に、40Kgぐらいの女
にぶらさがられたのと、ちょうど同じくらいの感じだ」
この大抵抗に阻止されて、さすがに加速力自体は
グッと鈍って来たが、それでもGSX−R・改は、
まだ400ccクラスのバイクが200Km/h〜220Km/h
に達するのと同じくらいの速さで、
空気の壁をガンガンと突き破り続けて行く。
メーターの針は、290Km/hを指した。
純正のままのタコメーターの針は、
ほぼ15000回転のラインのあたりにいる。
295Km/h、タコの針が、レッドの終わりのラインと並んだ。
第2レーンを走るクルマ達が、まるで対向車のように
後ろに向かってフッ飛んで行く!
あと少しだ! 回れ! 回り切れ!
メーターの針は、とうとう300Km/hと刻み込まれた
ラインの上に乗っかった。
ピッタリと重なった。
不思議な事に、あまり感動はしなかった。
しなかったというよりは、完全にその迫力に飲まれていた。
とにかく、その速さといったらもう、
メチャクチャ以外の何モノでもないのだ。
感動もヘッタクレもあるか、と思っていた。
両ワキにある物すべてが、猛烈な勢いを持って
こっちにブッ飛んで来て、溶ける。
ノドが圧迫され、顔がむくんで来るほどのすさまじい力で
ヘルメットが吸い上げられ、アゴヒモがこれでもか、これでもか、
と喰い込んでくる。
大音響で、風切り音が脳の中にまで潜り込んで来る。
レシプロエンジンの音というよりも、バイオリンのそれに
近いような金切り声を立ててエンジンが唸りまくる。
分離帯のないところ(!)では、
対向車が500数10Km/hの相対速度で
脇をブッ飛んで行き、まるでソニック・ブームの
ような衝撃波を投げかけて行く・・・・。
これが時速300Km/hの、オートバイの世界なのか。
ほどなくして、メーターの針は300Km/h
のラインを、完全に突破した。
オレは「GOD・SPEED!」と叫んでいた。
GOD SPEED
それは『神の領域のような速さ』を現している言葉ではない。
英国に古くから伝わる諺で、
道中の無事・安全を祈願する、という意味の言葉である。
その夜はハノーバーに一泊し、近くの酒場でスタッフと共に乾杯した。
ビールの本場なので手当たり次第注文し、大酒を喰らった。
おかげでぐっすり眠れ、体調も最高だった。
昨日はあの後、結局10回近くもオーバー300Km/hの
アタックをかけ、スタッフたちを遥かに引き離し、
アウトバーンを好き放題駆け巡っていた。
やり過ぎてはぐれてしまい、2時間ほどお互い
探し回ってしまったのであったが、おかげで300Km/hの
超高速の世界にもほとんど馴れ、もう迫力負けはしなくなっていた。
そうなってはもう、恐い物は存在しない。
速そうなクルマを見つけては、片っぱしから勝負をかけていた。
ポルシェだろうがフェラーリだろうが、
そんなことは一切おかまいなしだった。
負けるなんてハナから考えていなかった。
いかに4輪の超高性能化が進もうと、実速で300Km/h出る
クルマなど、世界中探してもそう何台もあるわけがないのだ。
この世にそれらのクルマが存在しているのは知っている。
そして本当にその気になってクルマを作られたら、
スペースに物言わせてとんでもないエンジンを搭載する
ことの出来る4輪車に、オートバイは結局太刀打ち出来る
ものではないというのも、知っている。
しかし、それらのクルマ達というのは、
例えばポルシェの959にしろ、フェラーリのF40にしろ、
ルーフの911にしろ、みな『とてつもなく高価』なため、
いかに本場の西ドイツであろうとその実走台数など
極端に少なく、日本からブラッと遊びに来たオレが、
たかだか2日、3日の間に彼らとハチ合わせることなどは、
現実的には無と考えてもよいくらいなのである。
そして万一、百歩譲ってそれらのモンスター達と出合ったとしても、
それらが、そのままの状態で、今たちまち300Km/h以上の
最高速をマークできるとは、まず考えにくい。
高度なチューニングを施されたクルマほど、
そのバランスを保ち続けるのが極端に難しくなって来るからだ。
オートバイに比べて莫大な空気抵抗を受ける4輪車というものは、
いかにエアロフォルムをまとっていようと些細な調子の狂いから来る
数パーセントの出力の低下で、たちまちその最高速などは、
10Km/h単位でガンガン低下して来るものなのだ。
実際、ドイツ本国で330Km/hだか340Km/hだかをマークしていた
ポルシェ959を日本に持ち込んでトライしてみたら、
300Km/hにやっと手が届くのが精いっぱいだった、
というのをテストした関係者から聞いたことがある。
だからポルシェの911ターボや928S4も含む
いかなるシリーズが来ようと、BMWのいかなるシリーズが
前にいようと、フェラーリがジャレて来ようと、
全然気にはならなかった。
相手には、ならなかった。
みんなほとんどGSX−Rの4速の範囲、悪くても
5速の260Km/hぐらいでゴメンナサイして道を空けて行くか、
GSX−Rにブッチギられて、豆つぶのようになって行くかだった。
オートバイもでっかいのが何台かいたが、
クルマと似たようなもので、勝負にはならなかった。
そうしたら、あいつがやって来た。
つづく