長野県の辰野町山中に「日本の中心」と称されている
場所がある。
東経137度59分36秒。北緯36度00分47秒。
北方領土や沖縄をはじめとする南西諸島、小笠原・・・
といった島部分を除いた上での、日本列島の単純な形を
想定し、それを緯度経度でこれまた単純に割ってみと、
だいたいこのあたりが「ヘソ」となるらしい。
ヘソがあるのはここだけではない。言い分がこのよう
に単純なものであるからして、当然のように他県でもあ
ると主張する。
「実際に日本地図を切り抜いてだな、糸で吊ったら、俺
んとこが水平取れたから、真ん中だ」
というものや、
「人口比率から平均体重で割り出したらだな、ここが中
心と出た」
というようなものだ。
だが、だ。なんで、ここに目を着けたかというと、実
はここにはもうひとつの大きな目玉があるのだった。
村起こしで復活させたという「ホタルの里」というの
があって、6月中旬から下旬にかけての絶頂期には、な
んと3万匹もの光りの点が、乱舞するというのである。
(自称ヘソは他にもあるようだからまあいいとしても、
この乱舞するホタルってのは、ちっとすげえんじゃねぇ
か・・・・でも、今はもう、7月の初旬だ。まだいるの
かな)
そう思い、ものは試しにと役場に電話して聞いてみた
ら、なに、「もうほとんどいません」。
ちっ。
(でも・・・・もう、同行するミスターバイク編集部の
坂下には、今回は日本のヘソ行ってから、その後にホタ
ル乱舞の里に連れてってやる、と話ちまったしなあ。そ
れをすげえ期待して、楽しみにしてるようし・・・・)
さてどうしたものかと考えた。
(でもま、いいか。ホタルぐらい、オレがこしらえてや
るわさ!)
心優しいオレは、そう考えた。
そうと決めたら早かった。
スタコラ走って商店街の模型屋に駆け込んだ。
「麦球ありますか」
ムギキュウとは、鉄道模型などのヘッドライトの中に
入れたりする、マッチの頭ぐらいの豆電球である。
そいつを買いに走ったのである。
(どうせなら、赤がいいや。目立つからな)
(ついでに細いリード線と)
(サオはなにがいいかな。釣竿じゃあ太すぎるしな)
(そうだ、溶接棒がいい! アレなら針金ぐらいの太さ
だけど、ピアノ線みたいに堅いから、目立たないし曲が
らないしと。よくシナってあんばいいいし。決めた!)
家に帰ったオレは、ワープロをどかし、鼻歌を歌いな
がら細工を始めた。
(ここにムギ球をこうやって、リード線をこうして、そ
んで電池をこうやってと・・・!)
作業などものの5分で完了した。
電気を消して試してみると、おお、すばらしい! 小
学校2〜3年生の夏休みの工作程度のレベル、単純かつ
原始的きわまりない構造の作品なのであるが、なに、ま
さに赤ボタルそのもののように動くではなか!
・・・・実際にそんなのがいるのだかどうだかは知らな
いが。
(念のため、スプレーで黒く塗っておこうっと。反射し
たら怪しまれるからな)
当日になると、ゲストがひとり増えていた。
「あー、シンヤさん。梨本圭っつって、ロードレース
やってる奴なんだけど・・・・」
坂下と仲が良いらしく、たまたまテストもなにも入っ
てない日だったので、「ホタル乱舞」話に釣られて付い
て来たらしかった。
オレはこのときが圭とは初対面だった。
「あっどうも、梨本圭です。初めまして」
オレは「おうっ」とだけ答えた。
見ればハンサムで良い男なのだが、目付きが鋭い。
よくニコッと笑うのだが、基本的に愛想はない。
しかし向こうにしてみたら、「おうっ」の他は、同じ
くただニコニコしているだけの男を見て、なんと思った
か分かりはしない。
実はこのオレの「おうっ」は知る人ぞ知る、有名なセ
リフなのであった。
もっと正確に言うと「おっ」だ。
この「おっ」と、「ああ」を縮めた「あっ」だけで、
日常会話の、少なくとも返答に関するも件の9割り方は
片付けてしまっている。
「あーシンヤさんこんにちわー!」
「おっ」
「いや、どうもどうもぉ!」
「あっ」
「これでいいですか?」
「おっ」
「じゃ明日6時ってことで」
「あっ」
要するに
「おう。了解したよ」「ああ、分かった」
的な意味の超省略語というか、意思表示なのであるが
電話の応答などでこれをやっていると、知らない人は傍
で聞いていて仰天するらしい。
例えば、編集長から電話が掛かってくる。
(もしもし。近藤です)
「おっ」 おう、近藤さんか。
(原稿・・・まだかかる?)
「おっ」 おう、掛かってしまうだろうね。
(今日の夜までには何とか入るかなあ)
「あっ」 ああ、分かっているよ。
(いやもうマジでヤバイんだよ)
「おっ」 おう、分かっているよ
(頼むよ、ほんとに。じゃあね)
「あっ」 ああ、任せておけって。
オレと阿吽の呼吸の人間ならこれを理解もできるのか
も知れないが、そうでない人間には相当異様に見えるら
しい。いや、見えるに決まっている。
なにしろ向こうはそれなりの量を話しているハズなの
に、こっちの受話器を持った人間は、「おっ」もしくは
「あっ」としか言葉を発しないのであるからして。
それも、たまにしか、である。
だから、受話器を置いて、「いや、いまね、これこれ
で・・・」と笑いながら話したトタン、
「なんだ、てっきりケンカしているのかと思った!」
と言われたことも珍しくない。
しかして、これはオレにとっては「どうも」と同じよ
うな省略語にしか過ぎないのである。
「こんにちは」
「どうもどうも!」
「さようなら」
「どうもでした!」
「ありがとう」
「どうもです!」
「初めまして!」
「どうも!」
「お久しぶりです!」
「どうも!」
「まあ一杯」
「どうも!」
「また来てくださいね」
「どうも!」
どうも、どうも、どうも!
日常会話の挨拶・返事は、これでほとんど事足りてし
まっているではないか。
ドキュメンタリー・ライターの大御所である本多勝一
さんの名著「極限の民族」の中で、エスキモーの言葉で
「アマカネ」と「アーマイ」(確かこんな言葉だったが
忘れたわ)という言葉があり、このふたつでほぼ日常会
話が成り立ってしまっているのに驚いた、というような
ことが書かれていたのを読んだ覚えがあるのだが、我が
国の「どうも」も、これに匹敵する実力を持っているの
ではないか、とオレは密かに思っている。
実力という表現が適切ならば、の話であるが。
「すっかり話が横道にそれてしまいましたね!」
「おっ」
「早く続きを書いて下さいよ!」
「あっ」
「楽しみにしているんですから!」
「どうも」
ホタルの里に作られた、屋根だけのあずま屋の下に陣
取って、オレたちは夕方から酒盛りを始めた。
今日はここで野宿して、朝方に帰る予定である。
やはりホタルはほとんどいなかったが、それでもポツ
リポツリとは現れるのをツマミに、オレらはガンガン酒
をあおった。
6月の半ば近く。まだ梅雨入り前であったが、真夏の
夜を思わせる熱気に包まれていた。
その熱気のほとんどは、オレたちが体から発している
ものだった。
「ホヤ坊よ、確かに数は少ないけど、まあ、ガッカリす
るなって」
ホヤ坊とは坂下のあだ名である。
岩手県宮古市出身の坂下は、昔から「〇〇坊」と呼ば
れることに憧れていたのだという。
しかし、待てど暮らせど誰もそう呼んでくれない。
そこで、自分で付けた。
「ホヤ坊」。
ホヤ坊のホヤは、宮古の名産品、ホヤから取ったもの
だそうな。
努力も発想も苦労も想像力も、すべて認めるが、しか
し、それを20代の半ば、大人も大人になってから実行
したというのがなにやら唸らせる。
「その代わり、さっきの酒屋のおばさんが、今年は珍し
い赤ボタルが35年ぶりに出たそうよ、と話していたぞ」
ホヤ坊はキョトンとした顔をして聞き返して来た。
編集者というよりも、捻り鉢巻きの似合う、漁師を思
わせる雰囲気をも持つ男は唸るような声で言った。
「えーなに? 赤ボタルぅ?」
「おおよ。赤ボタルよ。捕まえりゃあ、一匹10万円だっ
てよ」
「えー、なに? 一匹じゅうまんえん!? すげぇー、
すげぇー、ほんとかよぉ、うわあー!」
それを聞いて、ホヤ坊と圭がハモッたように叫んだ。
オレは言った。
「でもな、捕まえたりすんじゃあねぇぞ。かわいそうだ
からな・・・・愛護よ、愛護!」
「捕まえたりしねぇっスよ、俺たちは絶対にぃ。なあ、
梨本!」
「そうっスよお。俺なんか、釣った魚だって全部すぐ逃
がしてやりますよぉー」
レース以外のときはブラックバスを釣り上げることに
余暇を費やしているという梨本圭も、興奮しながら加担
する。
いいぞいいぞ。
捕まえられたら大変だわさ。
貧弱だからな、この赤ボタル。
つづく