後 編
9時、10時。いい調子でオレら3人は出来上がって
行く。
飲ーむ飲む、グービグビ飲む。
「圭よ、おめ、小川をクランクで横切った橋の上で、曲
がり切れなくなりそうになって、足出して足掻いていた
だろう。オレ、ミラーで見たぞ、ははははは!」
「あーなんだあ、見られてたのぉ? ちぃー、くそぉー
はははははぁー!」
「泥にハマったホヤ坊に、止まり切れなくてオカマ掘り
そうになったときも、仰天してアバレてただろう、見た
ぞ見たぞ、はーはははは!」
「はははははは!」
「あははははは!」
鈴鹿サーキットのレコードホルダーとの番外ツーリン
グ。今夜の肴はなんぼでもあらあね。
時刻は12時。頃合いだぞおい・・・。
オレはノーマルボタルを見て騒いでいるふたりをよそ
に、ションベンをしに行くフリをして姿をくらませた。
バイクのフレームに沿わせて隠しておいた溶接棒を
そっと外して、湿地の反対側の薮の中に忍び込んだ。
(おい、おめら、こっち向け)
向いた。
手初めに、まずはピッピと点滅させてみた。
たちまちサカナは食いついて来た。
最初に気が付いたのは、圭のほうだ。
「あれ? 坂下さん、見た、いま、光った、赤が!」
(ターザンみたいな文法でしゃべる奴だな。そうか良く
見えるのか・・・じゃあこれはどうだ、ピーピピピ!)
「うわあ、ほんとだほんとだ! 見たよおい、俺も見た
よぉ!」
ホヤ坊が、人魚のケツを見た漁師のような野太い声で
喚いた。
(ようし。ンなら、これはどうだ!)
点けっ放しにして、溶接棒を大きく振った。
たちまち絶大なる反響があった。
「すげえー! 赤ボタルだあ、赤ボタルだあ! 10万
円だあ! やったあ〜!」
ふたりは抱き合って喜んでいる。
(よかったなあ、ホヤ坊。オレもうれしいよ。なら、こ
んなのはどうだ?)
今度は勢い良く左右に振ってみた。
「ふ、ふげえー、ふげふげふげぇ! み、見たか、いま
の動き! メーチャクチャ速かったぞ!」
(そうだろうそうだろう。溶接棒はよくシナるからな)
なぜかふたりは声を殺して、小声で囁きあっている。
(心配すんなよ。ホタルには耳なんかねぇんだからさ!
・・・・んじゃあ、こんなのは、どうだ?)
今度は思い切って、円を描くように大きくグルングル
ンと振り回してみた。
赤い小さな光りの点が一本の筋になって、ネズミ花火
を遥かに上回るすさまじいスピード、それも複雑怪奇な
曲線を描いて、あたり構わず無秩序に飛び回る。
これには奴ら、度肝を抜かれたらしい。
「うわあふんげぇ! ふげぇ! ふげぇ〜! ふげふげ
ふげぇ! ナシモトー、うおぉー!」
「うわあ〜〜〜、サカシタ、さぁ〜〜ん!」
(抱き合って、ぴょんぴょん跳びはねるなって。擦れて
おっ立つぞ、おまえら。くひひひひ!)
そこでふたりはハタと気が付いた、オレがそこに居な
いのを。
だが、それは不信感になど微塵も繋がらない。
『いまそこにいる、35年振りに出現した、じゅうまん
えんの赤ボタルを見損なっているバカな人間』
『よりによってこんなときに小便を垂れに行ってしまっ
ている、超運の悪い男』
そうとしか、捉えていない。
「シンヤさぁ〜ん! シンヤさぁ〜〜ん!」
ホヤ坊が、漁船から転落したオレを探すかのような大
きな声で喚いた。
「シィンヤさぁぁぁ〜ん!!」
てば、と付けるようなあんばいで、圭も絶叫した。
オレは腹が引きつりそうになるのを堪えて、岸辺の泥
濘みの中を右に左に移動した。
Gパンは泥だらけ、トレーナーは草木の夜露でビショ
ビショになったが、そんなことはお構いなしだった。
こんな楽しいこと、途中でやめられるかってんだ。
大きく右に振る。
するとそれにつられてふたりの体も大きく右に傾く。
左に振る。
すると今度は左に傾く。
まるで催眠術に掛けられて揺れ動く被験者のようだ。
小刻みに震わせる。
「うぉぉぉぉ〜!」
ブルルと振る。
「うぉぉぉぉ〜!」
バレても、もういいやと、シルエットが見えてしまい
兼ねないほど伸び上がって、思いきり高く持ち上げる。
するとそれに連動してアゴが上がって行く。
上がって行って、スッと戻すとまた、
「うぉぉぉぉ〜!」
と感嘆の呻き声を発する・・・。
そのうちついに、圭は怒りだした。
「ンもぉ〜、あのオヤジ! バカじゃねぇの、こんなと
きにいないなんて! 35年振りだよ!? 赤ボタルだ
よ!? ねえ、分かってんの、この事態。ああっ、どう
しようもねぇ、どうっしようもねえバカだよなあ、ンっ
とにあの人は! でしょ? でしょ? 坂下さん! そ
う思いませんかあ!」
(あのやろう・・・言いてぇこと言いやがって)
よ〜し、そんならここはひとつ、そのマヌケなオヤジ
にトドメを刺してやろうやんけ!
とばかりに、オレは、気が狂ったように溶接棒を振り
回し始めた。
敵との距離はものの15メートルと離れていない。
いくら闇夜とはいえ、街灯と星明かりでシルエットぐ
らいはバッチリと分かるハズなのだ。
なにしろ、こちらからはふたりの表情まで、おぼろけ
ながら見えるのだから。
しかし、興奮の極みにいるふたりには、狂喜舞・・・
というか、この世のものではない奇妙キテレツかつとて
つもないスピードで不規則に動き回る「伝説の赤ボタ
ル」の、僅か数10センチ下にいる、下顎を突き出し、
眼を剥き鼻の穴をおっ広げて溶接棒を振り回す「マヌケ
オヤジ」の姿は目に入らない。
ビビュビュビュビュー!
カコヘコクニャ〜!
ビビュビュビュビュー!
30円のムギ球をくっ付けた、1本5円もしない溶接
棒が、10万円の風切り音を発てて唸り飛ぶ。
「うわうわうわうわぁー!」
「あぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ〜!」
もう言葉は出ない。
絶叫状態の連続である。
(どうだ、このやろ。参ったか!)
参る。参らないの話ではないのだか。
急激に動きを止め、最後に
ピー・・・・ピピッピッ・・・・
と点滅させながら、スーッと草むらに落とした。
「あれ? 死んだのかなあ・・・・」
引き揚げたら人魚の心臓が止まっていた、というよう
な案配で、ホヤ坊が心配そうに言った。
(死んでねぇよ)
「もう光らないぞ。どうしたんだろう・・・・」
圭も続いて、レースの途中でエンジンが止まって
しまったような、不安そうな声を出した。
(どうもしてねぇよ!)
潮時だ。こちとら笑いを堪え過ぎて、腹が痛くてたま
らねぇ。
じゅうまんえんをズボンの後ろに隠してあずま屋の下
まで戻ると、いきなり圭に怒られた。
「もぉー、どこ行ってたんスか! いまねえ、いままさ
に赤ボタルがそこに・・・!」
肝心なときにいつもいなくて、事件が片付くと姿を現
すスーパーマン・クラークケントのごとき言われ方であ
る。
なに、そうか。出たのか。ふーん。
この目で見なければ、信じられんね・・・。
そっちがそう来るならと、オレも、観客はみな真犯人
が分かっているのに、ちっとも捜査をしようとしない警
察署のアホ署長の役を演じた、腹がよじれそうになるの
を鉄の意志で堪えながら。
ホヤ坊は向こうをむいて、圭の携帯を借りて誰かと夢
中になって話し込んでいた。
「・・・いやほんとにぃ・・・いやUFOなんてもん
じゃねぇようアレは!・・・メーチャクチャ、メーチャ
クチャ速ぇんだもんよう・・・・いやマジでマジで!」
(皿回しみたいな要領でやるんだよホヤ坊。こんどやり
方おせーてあげるからさ)
「うん、確かにアレは速い! 異常に速かった!」
圭が傍らのつまみをひったくり、眉間に皺を寄せつつ
モグモグしながら相槌を打った。
オレはとうとう我慢できなくなって、目の前で赤ボタ
ルをピッピと発生させた。
圭が少し寄り目になった。
「速ぇってよう。このぐらいか?」と振り回した。
そのトタン、圭の口からソーセージやらハムやらが、
掛かったエンジンよろしくブブブワッ! と勢いよく噴
き出てきた。
顔の肉がみんな真ん中に集まっていた。
「アーキャキャキャフヒッヒッヒッイーッヒッヒッヒ
アーッハハッハアアーハッハッハァッ!」
椅子から転げ落ち、ものすごい形相をして、文字通り
腹を抱えて梨本圭は地べたを転げ回っていた。
「あーっ! あーっ! もうだめだあ! は、腹が、腹
が痛ぇよう腹が痛ぇようワーッヒャッヒャッヒャウーッ
ヒッヒッヒイーッヒッヒッヒゲホゲホ!」
その向こうでホヤ坊が力説を続けている。
「ちがう、ちがう、そういうんじゃないんだって、赤ボ
タルよ赤ボタル! とにかく尋常じゃないんだって飛び
方が・・・!」
「今日はよう、シンヤさんつって、まあ仕事関係の人な
んだけどよう、ひっく、とにかくー、その人と来ていて
だな、俺はもう、人生最高運が良いというかあ、まあシ
ンヤさんのおかげで・・・・」
あずま屋の下に設えられた大きな丸テーブルの向こう
に、闇に向かってこぶしを振り上げながら口角泡を飛ば
しながら力説している、叩き起こしたらしい誰かに、興
奮冷めやらぬ状態で力説しているホヤ坊の姿を見て、オ
レも顔面の制御が不能になった。
(すまん、ホヤ坊!)
ぎゃーはははははははは!
これ以上我慢していたら、腸捻転になってしまう!
ぎゃーはははははははは!
ついに腹を抱えて、オレも圭の隣にぶっ倒れた。
捕まえたらじゅうまんえん、という伝説の赤ボタルの
鋼鉄製の、長〜い尻尾を握り締めながら・・・!
了