後 編

  首都高速の下を走る、外苑西通りに入った。
 が、せっかくチャリンコで来たのだからと、オレはな
るべく一本外れた、ふだんは走らないような道ばかりを
辿って行った。
 一方通行の道を好んで逆走し、ことさら、狭い道を選
んで走った。
 バイクで通ることが可能なコースを辿るのは、なにか
損をするような気がしたのだった。

 ふだん、バイクやクルマで走っている分には、何とも
感じなかったが、こうしてみると、大田区、目黒区とい
うのは、何て坂道の多いところなんだろうかと実感した。

(うう、けっこう、辛ぇものがあるもんだな、こりゃ)
 白金の手前の坂道で、オレはとうとう、立ち漕ぎを始めた。

(け、健常者で、ここ、これなんだから、
ちょっと、ハ ハ、ハンデの、ある人や、
お、お年寄りなんか、こりゃ た、たまらんだろうな、
ハアッ、ハアッ、ハアッ!)

 上大崎のでかい交差点で信号待ちし、ゼイゼイと息を
切らせていると、左折待ちしていたバイク便の男と目が
合った。
「あっ。シンヤさんだ!」
 会話を始めるとまたややこしいことになるから、オレ
は無言で親指を突き立てると、歯を剥き出してまたママ
チャリを漕ぎ出した。
 ピッ。
 ホーンを鳴らされた。
 うがぁ!
 オレは生ホーンで返した。

 目前に、白金トンネルが迫って来た。
(やべえ・・・あんなとこ、危なくて走れねぇぞ)
 まったくの2車線である。入り込もうなら、ヒジをク
ルマに擦られかねないほど、路肩部分には余裕がない。
 よって、そもそも歩行者チャリンコは通行禁止となっ
ているトンネルである。

(どうしよう)

 迂回しようにも、左側は目黒スタジオが続き、右は
自然教育園の、白金の森がずっと続いている。
 これではとてつもなく大回りしなければならなくなる。
 そして、そのことはまた、坂を越えなければならない
ことを意味していた。

 仕方なく首都高の目黒の入口の横から、歩道のように
見えなくもないところを突き進んで行くと、なんと!
それまでバイクやクルマで走っている分にはまったく気
が付かなかったが、トンネルと目黒スタジオの間に、
幅1mちょっとの細い路地というか、歩道の続きが、
あったのだった。

 これは儲かったと、そこを飛ばした。
 途中に、10段ぐらいの階段部分があった。
 真ん中には、自転車用に平たくされた部分があった。
 まだ、若干の上り勾配は続いていたので、そこを一気
に駆け上がるため、オレは、むおおっ! うおおっ!
と立ち漕ぎして勢いを付けアタックした。

 あと50センチ・・・というところで、勢い足りずに
止まった。
(やべえ、逆走する!)
 ハンドルがガコッと切れた。前輪が斜めに動いた。
 そしてオレはずでんとひっくり返って、おっとっと、
わっとっと、と下までゴロゴロ落ちて行った。

(やべえ、誰か来たぞ・・・)

買い物帰りか何かの、自転車を押して来たオバチャンだった。
「あら。お兄ちゃん、だいじょうぶ?」
 上から見下ろされた。

「ああ、だいじょうぶ、だいじょうぶ。
どうってこたぁねぇや、ハア、ハア、ハア」
 ちゃんと自転車を降りて、慎重に歩を進めながら階段
を下ったオバチャンは、横を通り過ぎるときに言った。

「若い人は、やっぱり元気がいいわねぇ!」
(わ、若かねぇやい。オレもう42だぞ、こんにゃろ、
ちきしょ。まあ、確かにあんたよか若そうだけどな、
ハア、ハア、ハア)

「あっら。汗びっしょり!」

  げががが! と笑うので、尻餅を付いたまま、オレも
同じような声色で、げがががが! と笑い返した。

 霞町を越え、246を越え、オレはとうとう千駄ケ谷
まで辿り着いた。

 宣言どおりに、ラーメンを食らおうと思ったのだが、
これがまた、すごい。
 アブラでギットギトなのである。
 なぜか分からないが、オレはたま〜にこれが無性に食
べたくなるときがあるのだ。
 だが、誰も付き合おうとはしない。

「人間の食うものじゃないよ」
「て言うかさあ、犬の匂いがするんだよ」
「なにが悲しくて、あんなものわざわざ食いにいくの」
 みな、強烈なことを言う。
 ま、いいじゃねぇか。食うのはオレなのだから。

 まだ息が上がってハアハア言ったまま、オレはその
アブラギトギトを胃袋に流し込んだ。
 たぶん、健康にはものすげえ悪いのだろう。
 だが、このためにオレはわざわざここまでチャリンコ
で来たのだ。食わねばならないのだった。

 ジャスミン茶を3杯4杯と立て続けにグビグビ煽ると、
オレはまたすぐにチャリに打ち跨がり、一路、
我が街・川崎を、目指した。

 写真の上がりを取りに行くことなど、とっくに放棄し
ていた。
 すでに頭の中にあるのは、
(いかにすれば、帰り道は最も坂から逃れられるか!)
 と、いうことだけである。
 頭の中に地図を描き、計算しまくりながら、慎重に
ルートを選んで走った。
 運動による発熱に、腹の中の熱いアブラギトギトの
ラーメンが加わり、これでもかとばかりに汗が噴き出る。
 暑いよう。暑いよう。

 やっぱ、これは、ちょっとツラいぞ。

 原宿の裏道から青山に抜けた。
 246を下って、代官山から、山手通りに抜けた。
 目黒通りを走って環七を越えた。
 自由が丘から田園調布に出た。
 田園調布から先は、もう下り坂しかない。
 ハアハア言いながら、ついに丸子橋を渡って、オレは
川崎市側に入った。

 ヤサは、もうすぐだ・・・・。

 

「げえっ! ほ、ほんとに行ったの、千駄ケ谷まで!」
 事務所の前で、バイクを洗っていたマユミは、汗で
グチャグチャになり、全身から湯気を吹いているオレを
見て、呆れて言った。
 数日前に、安売りショップのドン・キホーテで衝動買
いしたサイクルコンピューターは、38・6Kmを示して
いた。
 現像所に寄って、ラーメン食って、都合およそ3時間
の「チョイ乗り」だ。
 都内を3時間掛けて、38・6Km走って。
 これをどう解釈するかはいろいろとある。

(けっ。確かに疲れたが、でもべつにどうってこたァ、
なかったぜい!)
 オレの答えは、これだ。

 オレはバイク乗りである。
 バイクに乗って、乗って、乗りまくる。
 走って走って、走りまくる。

 だが。みんなが想像している以上に、オレはチャリに
も乗るし、電車にだって乗る。
 そしてスタスタと歩き回りもする。
 5Kmや10Km、平気で歩く。

 

「オレには、オートバイしかない」

 

 なんだか、かっこいいではないか。
 だがこれが、
「オートバイしか知らない」だったら?
 たったふた文字の相違だが、そこには無限の溝が横た
わる。

 自分の世界を持っているのか。
 それしか知らないから、しがみついているのか。

 バイクでは見えなかった世界が、チャリでは見える場
合もある。

 坂道の辛さが、そうであったように。

 バイクの世界をオレは、もっともっと知りたい。
 知りたいからクルマに乗り電車に乗り、チャリに乗り、
 そして、歩く。

 

 ああ、それにしても、疲れた。

             了