ファイアーロード(※・林道のシャレた和訳)の取材
から帰って来た、翌日のことである。
フィルムを現像に出すために出掛ける用意をしている
と、そこへマユミが、チャリンコに乗ってフラッと現れ
た。
実に天気のいい日だった。
引き金は、それだ。
スタンドを起てたマユミのチャリンコを見ながら、つ
い、こう言ってしまったのである。
「・・・オレ、現像出しに行くのチャリンコで行っちゃ
おうかな〜」
「えっ? チャリンコで? どこまで?」
何を言っているのか分からない、というふうにマユミ
は聞き返して来た。
オレは、平然として答えた。
「どこって、決まってるだろうが。 現像所よ、現像所」
「現像所って、ケンフォトのこと?」
ケンフォトとは、当時編集部の指定となっていた、大
田区上池台のほうにある、小さな現像所のことである。
「おおよ。ここから6Kmってとこかな」
「・・・マジで言ってるの?」
「へっ、楽勝よ」
何食わぬ顔をしながらオレはハンドルに手をかけた。
・・・だが。
次にひと言、つい、よけいなことを言ってしまったの
である。
「けへへヘ、ついでによう、千駄ケ谷のホープ軒まで、
ラーメンでも食いに行っちゃおうかな!」
「えっ? 千駄ケ谷まで? 15〜16Kmはあるんじゃ
ないの?!」
目を剥いたマユミは、それこそ、マジで言ってるのか
さ、シンヤ兄貴さあ、と付け加えた。
その場の勢いで、つい言ってしまったのだが、マユミ
に 『15〜16Km』という具体的な数字を口に出され、
オレは現実の世界に引き戻されていた。
なーんちゃってな! というような雰囲気で、しばし
黙った。
「うー、うー・・・」
「なんだぁ。行かないのかぁ・・・」
がっかりしたような顔をしながら、マユミが言う。
「一度行くって言ったのに、行かないのか。男らしくな
いじゃん、それって」
(男らしくない!)
このひと言に、オレは極めて敏感に反応する。
それがたとえ、手だと分かっていても、だ。
「おおし! そんなら、ほんとうに、行ってやろうじゃ
ねぇか!」
売り言葉に買い言葉ではないが、かくして真夏の太陽
が照りつける中、オレはサンダル履きのまま、ペダルを
蹴り出すと、ママチャリとともに大通りへと飛び出して
行った。
多摩川に掛かるガス橋を渡り、都内に入った。
環八を越えた。
左へ行けば、600mほどで編集部だ。
編集部へは、前にも一度、チャリンコで行ったことが
ある。まだ雪ヶ谷にあった頃の話だ。
ある日のこと、飯を食いに行こうと商店街のほうへ歩
いて行ったオレは、例のごとく『万引きババア』のいる
店に捕まった。
すると、そこに、かっこいい真っ赤な10段変速のサ
イクリング車が置いてあった。
ドロップハンドルが気に入ったオレは、値段を見て驚
いた。
29800円!
(げえっ、オレがガキの頃は、こんなのは10万円以上
はするような超高級車だったのに、いまはこんなに安く
買えるんだ!)
もちろん、いまではもっと安く買える。が、とにかく
驚いたというか、感激したというか、得をした気分にな
ったオレは、その場で衝動買いしてしまった。
そして、飯を食いに出掛けたハズなのに、なぜか興奮
し始めたオレは、なぜかそのまま中原街道を突っ走り始
め、編集部へと向かっていたのである。
要するに、見せびらかしたかっただけなのであるが、
みんなの態度は冷たかった。
「オレ、今日はチャリンコで来たんだ、へへ」
「へえ。なんで? 免停でも食らったの?」
「いや、ちがうよ。新しく買ったからさあ・・・」
「ふーん。そうなんだ」
誰も驚きもしなければ、見に来ようともしない。
仕方なくオレは、本来家を出た理由である、すっかり
忘れていた飯を、食いにいくことにしたのだった。
そんなことがあったので、編集部へは寄らないことに
した。
環八を突っ切り、裏道の坂を上って久が原を抜け、丘
を越えていつもの現像所まで辿り着いた。
顔なじみのピアスの兄ちゃんが奥から出てきた。
「おっ。これ頼む」
「いまなら2時間ぐらいで上がりますよ。編集部のほう
へ届けますか?」
「いや、いい。それなら後でオレが取りに来るよ」
帰りに寄ればいいやと考えた。
大して疲れても、いなかったからだ。
(へへ、まだ、体力はバリバリだぜ!)
現像所を後にして、環七に出てから、中原街道を五反
田の方へと向かった。
スイスイと飛ばして、荏原のところまで来たときのこ
とだった。
(あれ?)
工事現場の脇を走っていると、どこかで見たような奴
がうろついるのに気が付いた。
よく見ると、そいつはオレの家の近所に住んでいる、
10代の頃によく遊んだ、ペンキ屋の伜だった。
もう15年以上逢ってなかったので、お互いにすぐに
は分からなかったが、顔をねじ曲げ見つめ合っているう
ちに、同時に「お?」というあんばいでピンと来た。
「あれ? シンヤ?・・・・だよ、なあ」
「おおっ、〇×じゃねぇか! 久しぶりだなあ。なんだ
ここ、現場か」
だがそいつは、その問いには答えようとしない。
「おめ、なにやってんだ、こんなところで」
ジロジロと、なめるようにオレの全身を見る、不審そ
うに。
「こっちに引っ越したのか?」
あまりにも軽装でママチャリに乗っていたため、そう
思ったらしい。
引っ越して来たのか。そりゃ偶然だな・・・と。
オレは事情を説明するのが面倒臭いから、いやちょっ
と、そのう、まあ散歩だ、散歩! とお茶を濁した。
表情が、ちょっと険しくなった。
「散歩ってよう・・・」
家から10Km近く離れた場所である。
不審に思うのも、無理はない。
「まったくおまえは、昔っから、分からねぇやつだよ
なぁ!」
なぜか分からないが、オレは怒られていた。そして、
怒りながら、ブツブツ言いながら、その男は足早に立ち
去って行った。
(なんで、オレが怒られなきゃなんねぇんだ? 変なや
つだなあ、あいつも。変なのはオレか。まあいいや)
オレはまたチャリンコを飛ばした。スタタタッ、クル
クルクルッと。
つづく