五葉光バトル説法生きてみんかい! 13

o-157事件、マスコミ等の過大な期待の重圧に押しつぶされ
不振に終わったアトランタオリンピックの日本選手、沖縄米軍基地問題、
そして元厚生省エイズ研究班班長安部容疑者の逮捕。
これには驚いた。
いわゆる、すごく偉いと言われる人が八十才になっても逮捕されるんだからのう。
そう言えばお隣の国・韓国では元大統領の二人が、
裁判でそれぞれ死刑、無期懲役の判決を受けた・・・・・。
 いろいろな事が起こりながら、今年の夏もあわただしく過ぎ去って行った。

 それにしても世の中やはり諸行無常じゃのう。
何があるかわからん、一寸先は闇じゃ。
この世の中のすべてのものが、どんどん変化しながら、ワシらの周りを過ぎ去っていく。
そんな中で、自分の生き方をどうするか?
そこが大事なポイントなんじゃ。

 八年前に、ワシが住職になった時の事。
ワシは修行道場の老師に
「おかげさまで、私もやっと住職になれました」
と挨拶に行った。
その時、老師から一枚の色紙をお祝いにもらったのだ。
さぞかし有り難いお言葉が書かれているのかと思いきや、
それには、墨汁で大きなカタツムリが一匹書かれているだけなんじゃ。
「何だこりゃー、老師も年を取って少しボケたんかなあ」
と思い、おそるおそる
「これは一体どういう意味なんですか」
と尋ねてみたんじゃ。すると老師は
「たとえカタツムリのようにノロマでも、志を高く持って歩いて行け。
 そうすればカタツムリの這った跡がキラキラ光るように、
 お前の歩いた足あとも必ず光を放ちだすわい」
という有り難いお言葉を頂いたんじゃ。
しかし、光を放ちながら歩むのは大変な事、
このときばかりは気が引き締まったが、すぐに忘れた。

 さて、今年の夏のいろんな諸行無常の出来事の一つに高校野球があった。
 その高校野球を、ワシはクーラーのきいた部屋で扇風機に当たりながら、
枝豆をつまみ冷たいビールを飲みながら、テレビで見るのが趣味なんじゃが、
そのクソ暑い甲子園で、汗と泥にまみれてプレーする球児達や、
声をからした応援の風景を見ていると
「ざまあみやがれ」
いや失敬、間違い間違い。そうではなく
「申し訳ないなあ」
と、すまない気分でいっぱいになりながらいつも観戦しておる。
 その試合の中でも、逆転サヨナラという絶対的なピンチに立たされながらも、
死に物狂いの返球でそれを脱して、見事に優勝をし、
その試合の足あとをワシらの心に永遠に光り輝かせた野球チームがある。
 それは今年の覇者・松山商業高校で、ワシの地元(愛媛)なんじゃが、
優勝戦はすごかったなあ。
さすがのワシでさえ沸き返る甲子園の熱気に当てられて、何度も涙ぐんでしまった。

 まず1回の表に松山商が、
相手ピッチャーの立ち上がりの不調を突いてあっさり3点入れた時は
「これで決まったなあ」
と、何となく気が緩んだが、それから熊本工が1点ずつ返し、
しかも熊本のピッチャーも完全に立ち直り松山は0点が続いて、
息詰まる緊張はますます高まる。
それでも9回の裏、得点差は3対2と1点差で熊本が2アウトになって
「あと一人で、わが愛媛の勝利」と思いかけた時、
熊本の一年生が打ったまさかのホームラン。
これで、松山のピッチャーはがっくりとひざまづき、
熊本は選手も応援団も総立ちに躍り上がって大喜び。
ワシは缶ビールを持ったままの姿勢で卒倒しそうになった。
 それからあとは、こぶしの握りっぱなしじゃ。
10回の表、松山は0点。
その裏、熊本は1アウト満塁で、するどい打球がライトに上がった。
その瞬間、アナウンサーは
「これで決まりましたね」と叫ぶ。
ライトの守備は替わったばかりの控えの選手、幸いボールはつかんだ。
同時にテレビは、タッチアップのサードランナーを写し出す。
ホームに向かって猛突進!
「こりゃーあかん、勝負あった」
と思った瞬間、ライトから信じられないような好返球が
キャッチャーのミットにすっぽり収まってタッチアウト、
いやもうびっくり仰天、興奮した。
甲子園初出場の選手がライトからノーバウンド、奇跡のような好返球。
よくもまあこんな神様のような選手がいたもんだ。
しかもそれを見越したかのような監督の采配。
 これが流れを呼び込んで、11回の表に松山が3点、
結局、そのまま熊本は得点できず、
決勝のウィニングボールが松山がわのグラブに入って試合終了。
守る松山の歓声のあらし。攻める熊本悲憤の涙。
久しぶりにすごい試合を見せてもろうた。

 しかも、翌日の新聞に松山商の監督さんの話が載ったのだが、
これもまた素晴らしい。
「一生懸命には誰でもなれる。
 大事なのは死に物狂いになることだ、と言って、常に選手を鍛えました」
との事である。
なるほど選手も偉いが監督も偉い。
この監督の「死に物狂い」の教えこそが、
あのライトからの奇跡の返球を生んだのだなあと思わず納得した。
前評判では、松山商は決して有力候補ではなかった、
それは選手達が一番知っていたかも知れん。
しかし、高い志を持って死に物狂いの努力をした結果、
優勝という光り輝く足あとを残すことができたと思う。

お前も、時には死に物狂いで生きてみんかい。


        喝!!