五葉光バトル説法生きてみんかい! 16
昔、中国に雲門(うんもん)という禅坊主がおった。
ある日、雲門の所へ一人の修行僧が尋ねてきて、
「仏とは、どのようなものでございましょう」
と問うた。すると雲門は、
「クソかきべらじゃ」
と答えた。
クソかきべらとは、昔の中国で人が大便をしたあとで、
お尻をこすりつけてトイレットペーパーの代用にする木のへらの事である。
ワシの済む四国でも山間部の方では、ごく最近まで、
サワラというヒノキに似た木を使って、
縦20センチ、横1.5センチくらいに切りそれを薄く割って、
大便の後でお尻をぬぐうという事が行われていたそうな。
二、三十年ほど前に、
ワシの親父が用事で高知の山奥へ行った時にはまだこれがあったそうだ。
親父が言うには、便所に入ると箱が二つ置いてあって、
一つは未使用のきれいなへらが置いてあって、
使用後のへらは別の箱に移すんじゃそうな。
これは、へらをこえだめに落とすと、
後で肥やしとして畑にまくときに邪魔になるからだそうじゃ。
ちなみにワシの寺の便所は今でもぽっとん式で、
糞尿がたまるとワシがこえたごに汲みとって、畑に肥やしとしてまいておる。
それが天秤棒でポイカラポイカラとかついで行くので、
時々肥がピシャンとはねて顔や服にかかったりするんじゃが、
その時はにおいがプンプンして非常に臭い。
雲門はそのウンチが付いた臭いクソかきべらが仏だと言っているが、
とても仏とは思えん。
ところで、ワシには四才と六才の息子がおるんじゃが、
先日、その四才の次男が幼稚園から帰ってくるなりワシの所へあわてて走ってきて、
今にも泣きそうな顔で、
「父ちゃんウンチ」
と訴えたんじゃ。
次男は、すでにおしっこもウンチも自分一人で便所に行けておったんじゃが、
どうもその時は幼稚園バスの中で必死に我慢をしていたらしく、
もうそこまでウンチが出かかっておるようだ。
それでワシは急いで便所に連れて行ったんじゃ。
で、便所の前でズボンとパンツを脱がせようと足首まで下げた、
するとどうも次男の様子がおかしいんじゃ。それで
「早くズボンから足を抜かんか」
と言ったんじゃが、全然足を動かさない。
「早うせんかい!」
と言っても、じっとして何か表情がおかしいなあと思っていると、
次の瞬間、次男のお尻からウンチがにゅるーっと顔を出したのよ。
「ありゃ、これはイカン」
と、ワシは両手を出して受け止めたんじゃ。
幸い両手で受け止められる量で助かったんじゃけれども。
これ、ワシの子供のウンチだからまだきれいな感じがする、
百歩譲って「これが仏じゃ」と思えても、
もしこれが他人のウンチや公衆便所に落ちているウンチだったらそうはいかんと思う。
それでは一体、雲門は何が言いたかったのじゃろうか。
先ほどの「仏とは何ですか」と聞かれて雲門は「仏とはクソべらよ」と答えた。
その真意は、
「お前は何を迷うておるんだ。
お前のまわりのすべてのものが仏じゃないか。
例えばあの臭いクソかきべらでも、
自分のカラダを汚して人の汚れをぬぐってくれる立派な仏じゃないか。
この世に仏じゃないものがどこにあるのか、
みーんな仏じゃわい。そこが分からんのは、お前がいつも、
『きれいじゃ、きたないじゃ。やれ尊いじゃ、卑しいじゃ、ブスじゃ、美人じゃ』と、
差別の目で見ておるからじゃ。
そんな屁の突っ張りにもならんような差別の目を捨てて、
両方の目玉でしっかり見てみんかい」
と言う事なんじゃ。
だから、あの臭いウンチとて、また立派な仏と言う事なんじゃ。
とかく、みんなウンチは汚いとか言って避けるけど、
ワシらがご飯を食べて消化され、
その老廃物がウンチとして体外に放出されるからこそ、
こうやって生きて行けるんじゃ。
ワシの死んだ婆ちゃんが半月便秘したあげく、
病院で浣腸をしてもらってやっと出たウンチを眺めて、
泣きながら「おウンチ様がお出まし下さった」
と言って拝んでいた事があったが、
ワシらは毎日ウンチが出てくれるからこそ、
毎日を当たり前に健康で生きていけるのじゃ。
勿論、このクソかきべらやウンチのみならず、
いつも自分のそばにいて、
知らず知らずのうちに助けてくれている仏たちに囲まれて
生かされ生きておるのがワシら人間なんじゃ。
また昔、浄不行菩薩(じょうふぎょうぼさつ)と言う坊さんがいたそうな。
この人は、お経を読むわけでもなく坐禅をするわけでもない、
ただ毎日毎日、外へ出ては道を行き交う人に
「私はあなたを尊敬します。あなたこそ仏様です」
と言って拝むのがこの坊さんの修行だったそうな。
とにかく相手が老人であろうと子供であろうと、
金持ちであろうと乞食であろうと、
悪人であれ善人であれ、
誰かれなく道であった人を拝んで行ったのである。
拝まれた方は気持ちが悪いから、ある人は腹を立てて
「あっちへ行け」と悪口を言い、
ある人はツバをかけたり、棒で叩く人、石を投げる人もいる。
そんな事をされてもなお、浄不行菩薩は
「あなたは仏様ですよ」
と言って道行く人を拝み続けた、とこういう事実である。
大事なことは、この世のすべての人が仏であり、
みそっかすなどは一人もおらんと言う事で、
実はお前自身も100パーセントの仏なんじゃ。
それに気づいて生きてみんかい。
喝!!