五葉光バトル説法生きてみんかい! 4
日本人の平均寿命は八十歳をこえた。
昔は「人生わずか五十年」と言っておったから、すごく
長生きできるようになったわけだ。だから、みんな若く
て元気なうちは、とかく人生がとてつもなく長く思えて、
「ワシだけは病気にかからん、交通事故にも遇わん。
まだ若いから、そう簡単には死なん」と思いがちじゃ。
しかし、たとえ百歳まで生きたって、
わずか三万六千五百日なんじゃ。
お金にしたら、一万円札が三枚と、千円札が六枚、
それと五百円玉が一個じゃ。
その財布の中から、毎日毎日一円玉がポタリポタリと消
えていくわけだ。そうやって考えてみると、人生はまこ
とにはかない。
昔、中国に雲門(うんもん)と言う坊さんがいた。
その雲門が、ある満月の夜に修行僧に向かって、
「月がだんだん満ちてきて、今晩は満月。
これからは少しずつ月が欠けていくけれども、明日から
お前らは、どういう心構えで修行して行くつもりか?」
と尋ねた。しかし、誰も答えられん。そこで、雲門自ら、
「日日是れ好日」(にちにちこれこうにち)すなわち、
「毎日毎日が素晴らしい日だ。この心構えで行け!」と
答えた。
ここで言う月とは、ワシらの年齢を示しておる。
だんだんと月が満ちてきて満月になる。人間でいえば成
人式か。そして、これからは少しずつ月が欠けて行く。
すなわち、だんだんと年を取り老人となって、あの世が
近くなる。老いの苦しみ、死の恐怖を避けて通る事はで
きん、生きていく限り・・・・・。
この前、ある大先輩の和尚が
「五葉はいくつになった」
「三十四才です」
「ほー、もっと若いと思ってたが、あんたも結構、年を
取ったのう。じゃが、年は取りたくなかろうが?」
と言うから
「そうですねえ」と言ったら、
「年を取らんでいい方法を教えてやろうか」
「教えてください」そしたら、
「若死にすりゃーええんじゃ」
さらに、その人が言葉を次いで
「死なんですむ方法教えちゃろうか?」
「教えてください」
「生まれてこにゃーええんじゃ」
と、そう言われて、ちょっと小馬鹿にされたような気持
ちがした反面、「なるほどな」とも思った。
それはつまり、人生は思うようにならん、決して苦しみ
から避けては通れないものだから、生きていく以上は
『腹を決めて生きろ!』
という教えだと、ワシは受け取っている。
話は変わるが、近くの寺に八十八才になる和尚がおる。
その人が、一昨年、原付で転倒し、足を骨折して入院し
たのじゃ。年が年だけに、まわりの人たちは、
「もう、和尚は歩けんじゃろうな」と、あきらめておった。
それから二ヶ月後に退院はできたが、やはりベッドにずっ
と寝たきりだったから、足が全く立たなくなったのだ。
その和尚は、実に気丈で一つ芯の通った明治生まれの典
型的タイプで、勝ち気な性格なんじゃ。
「この寺には後継ぎがおらん。だから、このワシが檀家さ
んの相手をしたり、お経もあげにゃーいかんのに、こんな
無様な格好を皆に見せられるか」と言うんじゃ。そこで、
歩く稽古が始まったわけだ。全く歩けんもんだから、何か
につかまらなきゃいかん。そこで、本人が考え出したのは、
幸いお寺の本堂は広くて大きな柱がある。そこに、ヒモで
くくり付けた棒を通して手すりを作り、和尚は毎日本堂ま
ではって行っては、その棒を頼りに一生懸命歩く練習をし
たのじゃ。
しかしまあ、年が年なだけに、余計悪うなるんじゃなか
ろうと、ワシも心配をしたのだ。そこで、
「和尚さん、年を考えてみよ。年が年だから仕方ないじゃ
ろう、もう無理だわ」と、つい、いらん事を言うたんじゃ。
すると、和尚の顔色が変わって、
「ばかたれ! ワシは、お前らとは違って先がない。
今歩けるようにならにゃいかんのじゃ。まだやる事が、
一杯あるんじゃ!」
そう答えた。ワシは、この一言で何も言えなくなった。
ただただ和尚の生き方に、頭が下がる思いである。
そして、その懸命なるリハビリの結果、一ヶ月後には
自分で何とか歩けるようになり、その上、なんと今では、
こりもせず元気でバイクに乗って走り回っているのだ。
体こそ本当に小さく百五十センチ位しかなくて、バイク
で走る姿などは、バイクに乗っていると言うより、バイク
にしがみついているという感じなんじゃ。その上、腰も
エビみたいに曲がっていて、もう見るからに生きている
事自体、不思議に思える程のおじいさんだが、法衣をひ
るがえしてバイクで疾走する時の姿というものは、とて
も、八十八には見えんのじゃ。
この和尚の、今を一生懸命に生きる姿からワシはいろ
んな事を学んだ。
仏教の原点は、
『生と共に悩み、老いと共に苦しみ、
病と共に患い、そして死と共に悲しむ』
と苦しみを受容し、すべてをありのままに受け入れて生
きる事である。したがって、苦しい時は苦しい時、辛い
時は辛い時、病の時は病の時と、その時の状態をしっか
りとらえて、与えられた条件の中で精一杯自分自身を生
かしていく事。そして、
「今日という日は二度とないのだ。これが最後の最後じゃ」
という気持ちで、その時、その時を精一杯生きて行く態度が
”日々是れ好日” 毎日毎日が素晴らしい日となるのじゃ!
喝!!