五葉光バトル説法生きてみんかい! 7

 ワシが、十年前に修行道場を出て愛媛の山奥にある
自分の寺に帰ってから、しばらくの間は、近所のバイク
仲間と一緒に近くの河原でトライアルしたり、Z1300
でツーリングへ行ったりと、それこそ向かうところ
敵なしと言った感じで、自由自在にバイクを乗り回して
おった。今でもワシは、六台のバイクを持っておるが、
実はここ1、2年バイクに全く乗っていない。
と言うよりどうしても乗る気になれんのだ。

 ところで、ワシは小さい頃から良寛さんという
江戸時代の坊さんにあこがれていた。
良寛さんは、非常におおらかで無欲な性格の持ち主で、
高僧でありながら一生涯寺を持たずに、
五合庵と名付けられた掘っ建て小屋みたいな粗末な所で
質素に暮らしていた。そこで何をしていたかと言えば、
別に修行や難しいお説教をするわけでもなく、
遊びに来る子供達と一緒に、朝から晩までまりつきや
隠れん坊をして遊んでいたそうな。
で、ワシも、良寛さんに刺激されて、
「そうや、語りすました顔をして、座敷に座り、
お茶をすすっているだけが坊さんじゃない。
どうせ坊さんになるんやったら、ワシも、
良寛さんみたいに型にはまらない
自由自在な坊さんになって、
一生大好きなバイクに乗り続けよう!」
とこう堅い志をたてて、バイクに乗る事を、
毎日楽しみにしていたのだ。
希望に満ちた青年の僧とはワシの事じゃった。
しかしながら、その決意もそう長くは続かなかった。

 というのは、坊さんはその仕事の性質上、お盆、
お彼岸、正月、土日祭日など、みんなが休みの時には、
檀家参りや法事なんかで超忙しい。
反対に、みんなが仕事に精を出している平日は、
逆に暇なのである。当然、バイクは、平日にしか乗れん。
まだ、みんなが遊んでいる時じゃったら、ワシがバイクに
乗って遊んでいても大して目立たんのだけれども、
みんなが仕事をしている中だと余計目立ってしまう。

 寺からZ1300で外へ走りだしたとたん、
近所の畑で農作業にいそしんでいるお百姓さんが、
いっせいにクワを打つ手を休めて、白い目でこちらを
じろっと横目で見るんじゃ。

 ただそれだけなんだが、ワシには、その一生懸命に
働いている人達がこう言っているように思えたのじゃ。
「あれまあ、五葉の坊さん。
今日もバイクに乗って遊んどるわ。
そんな暇があるんやったら、境内の草一本でも引いたらどうや」

 その畑仕事をしている人にとっては、
そんな事どうでもいいことだったかも知れんが、
ワシは暇そうに見られるのがイヤだったのよ。
みんなもそういう経験あるじゃろう。
たまの休みに家でくつろいでいる時なんかに嫁さんから
「あんたは、のんきにしとってええねえ」と言われると、
「なにっ!」
と何か一言、ふた言、言い返してやりたくなるものじゃろう。

 それでせっかく立てた志じゃったけど、
ワシはバイクに乗るのをやめてしもうたと言うわけよ。

 そして、今しみじみと思う事は、あこがれの良寛さんが、
真っ昼間から堂々と子供達と一緒になって、
無心で遊べるその素晴らしさなんじゃ。

 勿論、今と違って生活の大変な時代だったから、
今以上にきっと良寛さんも子供と一緒に遊んでおると、
村の人達から
「あれまあ良寛さん、今日も子供と手まりして
また隠れん坊しとるのかいな」と、
こう陰口をたてられた事もずいぶんあったと思う。
しかし、良寛さんは、そんな声にはとらわれることなく、
七十四才で亡くなるまで子供達と一緒になって、
マリつきをしてみえた。

 さて、良寛さんの弟子に、貞心尼(ていしんに)という
美人の尼さんがおった。
 ある時、この貞心尼が良寛さんに、「人生のいただき方」
と言うものを問われた。その問いに良寛さんは、
「つきてみよ。一二三四五六七八九十
(ひいふうみいよおいいむなやあここのおとお)
十(とお)と修めて また始まるを」
と、こう答えられたと言う。

 良寛さんの人生は、手マリそのものだったかも知れん。
「何事もまず一からつき始めて、十で修めなさい。
何事もやりだしたら、途中で投げ出さないで順番にコツコツと
積み上げて、そして一度修める事。
そして修めたら、また始めにもどって一つ、二つと
順序よく歩くのが、人生の充実したいただき方だ」
 ちなみにここのところを、お茶で有名な千利休も
「稽古とは一より習い十を知り、十よりかえるもとのその一」
と言っておる。 

 世の中には、自分の意に叶わない事がいろいろあるけれども、
その叶わぬ事に不平不満をもらして途中で放り投げないで、
一つずつ順序よく頂いて、そして一度修める事が重要ではなかろうかと、
ワシは良寛さんの言葉を受けとめた。

 あるお経の一節に、
「愚か者は、水に囲まれていながら”のどが乾いた”と叫んでいる」
と言うものがあるが、六台のバイクに囲まれていながら、
「バイクに乗れん」と言って苦しみ悩み、
そのあげ句、白けてしまっているこの原因は、
場所や環境にあるのではなくて、結局、ワシ自身にあったというわけだ。

「中途半端で投げ出してはいかん。
よし、バイクを修めるまで続けよう!」
と改めて決意をした、五葉光35才の春であった。


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