五葉光バトル説法生きてみんかい! 8

 近所の電気屋の
「パソコンできん人間は、そのうちに滅びまっせ」
という言葉につい踊らされて、パソコンを買ってしもうた。
まだまだワシは初心者だが、いままでは沢山の書類で
うずもれていた机の上が、いっぺんに整理されスッキリした。
ところで、禅に惟浄(ゆいじょう)と言う教えがある。
ズバッと一言で言うと、心の中にある机の上をきれいに
整理しなさいと言う、パソコンみたいな教えだ。

 現代は、交通機関や科学技術などがものすごく発達し、
何かにつけ早くて便利になった。
本当はその分、生活もゆったりして当然なんだが、
逆に時間に追われますます忙しくなって来ているように思う。
それはなぜかと言うと、一つにはいろんな事ができるようになった分、
「あれもこれも」と、やりたい事がいっぱい増えて、
それに心身がついて行けなくなってしまっているのじゃなかろうか。
ちなみにパソコンだったら、メモリを増設すれば
机が広がり快適に対処できるだろうが、人間のメモリは
そう簡単には増やせん。
そこでワシらの心の中を整理していかねば
本当の人間の幸せというものはないんじゃないかと思う。

 ワシはいろんな人によく
「どうじゃ、自分が一番やりたいと思う事を、
誰からも指図を受けないで、やりたい放題するという生き方を
一生涯やってみるというのは幸せだとは思わんか」
と聞く。すると、
「それはいい。自分のやりたい事をやりたい放題やって、
一生涯思う通りにする。そんな幸せな事はないよ」
という答えが返って来る。
 そこでワシは
「ちょっと待て、勘違いするなよ。
確かに、お前らが言うように人間にはやりたい事がいろいろあるんだ。
じゃがワシが言うとるのは、自分が一番やりたい事なんだ。
自分が一番やりたい事、それはたった一つしかないはずなんじゃ。
その一番やりたい事をやりたいようにやってのけるためには、
他のやりたい事をいくらかは整理しなくてはならん。
そういう事が大切なんで、それが実は心の中を
きれいに整理するという事になるんじゃよ」
と言ってやるのだが。

 ところで“願かけ”というものがある。
願いを叶えるために、神仏に願かけをする事だが、
それをする場合にどうしてもしなければならん事が
“断ち”である。
例えば「試験に合格しますように」という事なんかを、
仏様や神様に願掛けをする場合には、合格するまでは
酒断ちをするとか、タバコ断ちとか言ったやつじゃ。
実は、この“断ち”には深ーい教えが隠されておるんじゃ。

 みんな自分がやりたい事はいくらでもあるじゃろ。
バイクに乗りたい、パチンコもゴルフもやりたい、
競輪へも行ってみたい等々・・・・・
だが、何もかも自分のしたい放題の事をしながら、
しかも自分の一番したい、しなければならん事をするというのは
しょせん無理な話だろう?
つまり、余分な事を捨てて、心を整理し、
一つの目的に集中して行けという事だ。

 中国に明贊禅師(みょうさんせんじ)と言う坊さんがおられた。
 この方は、何もしないという坊さんだった。
風呂もめったに入らん、お経も読まん、頭も剃らん、
その上、洗濯もせんという大変に不精で、髪の毛はボサボサ、
全身アカだらけという方であったそうな。
 そして、めったにものを言わんのだが、
この明贊が一言ものを言うと、それがとても含蓄(がんちく)のある
有り難いお言葉だったという。

 時に中国は唐、徳宗皇帝の時代であったのじゃが、
その皇帝が、その明贊を都へお呼び出しになる。
 その時に明贊、どういう事をしておったのかと言うと、
洞穴の前に牛のクソを乾かした物(今でも、中国の北部では、
牛の糞を乾かして、燃料にしているそうだが)を山の様に積んで、
それを燃やしながら、その中に山芋を差し込んで
イモを蒸し焼きにして食うておった。
それが真冬で、寒い時に熱いものを食べるので、水っ鼻が垂れる。
それをちょうど食べている所へ皇帝のつかいが来た。
「和尚、皇帝がお呼びです」
と挨拶をしたのだが、明贊は返事をせん。
相変わらず、燃えている牛のクソの山の中から、
山芋を掘り出しては食べている。
その和尚の鼻から鼻水がボチョボチョ落ちている・・・・・。
ついに見かねてつかいの者が、
「和尚、ご返事は結構ですが、せめてその鼻をお拭きになって下さい」
と言って鼻紙を差し出したら、途端に明贊が大声をあげた。
「余分な事は言うな! 
ワシは、山芋を食うのに忙しゅうてなあ。
今、お前のために鼻なんか、かんでやる暇はないんじゃ」
と、こう怒鳴ったと言う。

 明贊は何を一体、言いたかったのだろうか。
それは、自分は、他のあらゆるものを捨てて、
今はイモを食べる事、ただこれ一筋に徹している。
「お前らのような暇人の願いを聞いて、
鼻なんか、かんでやっている暇はない。
ワシは今、イモ食うのに忙しいんだ」

 この明贊、いつもこの調子で、
今、本当に自分がしたい一つの事だけに集中していたそうな。

 今の時代「牛のクソで山芋焼いて食っておれ」
というわけにもいかんが、
この中には大事な生き方のヒントがあるように思う。


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