五葉光バトル説法生きてみんかい! 9

さて、今から十五年前に、ワシはCB750で
事故って足を複雑骨折し、救急車で病院へ運ばれ
二ヶ月間も入院すると言う苦い経験をした。
で、それからの約一ヶ月間は、
ベッドで足を吊られっぱなしで、寝返り一つ打つこともできん。
それで腰が痛くて痛くて夜もロクに眠れんほど辛くてのう、
さすがのワシもまいっていたら、
有り難い事に坊主仲間や尼僧さんが
ゾロゾロと見舞いに来てくれて
「痛いだろう」とか言って心配してくれたのだが。
が、しかし腰の痛みは、自分にしか分からん事だ。
「人の痛みは百年でも我慢できる」と言うが、
人の痛みを頭で理解する事はできても、
決してその人になり替わってやることは誰にもできない。

 ワシは、フーテンの寅さんが好きで、
映画が来るとたまに見に行く。
その中でワシが気に入った科白(せりふ)があって、それは
「おいちゃん、早い話がよお。
俺が焼きイモ食ってもあんたのお尻から屁は出てこねえんだぜ」
というものだが、他人がメシを食べても、
決して自分のお腹はふくれない。
つまり、何でもまず自分で体験しなさいと言う事だ。
お前らも、自分の人生の中で、
貴重な体験を一つずつ積み重ねて行ってもらいたい。
ただし、ワシみたいな交通事故の体験だけはやめとけ、
第一痛いし、死んだら何もできんからなあ、ワッハッハ。

 この事を踏まえた上で、
今回は「脚下を看よ」と言う禅の言葉について話を進める。
 脚下を看よ・・・脚下とは足下の意。
そして看よの「看」と言う字、これは看護婦の看でもあるが、
辞書を引くと人が目の上に手をかざしている象形文字で、
「つぶさに見る・とくと観察する」という意味である。
即ち「脚下を看よ」とは、文字通り「足下をよく見なさい」と言う事になる。
昔、「上を向いて歩こうよ♪」という坂本九ちゃんの歌が流行ったが、
さしずめこれは「下を向いて歩こうよ♪」と訳せる。

 ところでで禅寺の玄関には、
この「脚下を看よ」の看板がよく掛けてある。
この場合は、「靴をそろえて脱げ」と解釈すればいいのだが、
禅では、靴をきちんとそろえて脱げる奴は一人前の人だと言う。
何故か? 
それは、そんな細かい所にまで神経が行き届く奴というのは、
誰から何を言われなくとも、自分のやるべき事はきちんとやれるからじゃ。
ほんの小さな事なんじゃが、靴の脱ぎ方を見ただけで、
その人の事がよくわかるのだ。
その証拠に、泥棒は仕事に取りかかる前に、
あらかじめその家の玄関の履物の状態をまず偵察しておいて、
その履物が乱れていたら、
「この家はだらしがないから、
きっと戸締まりやお金の管理もいい加減に違いない」
というんで、安心して盗みに入るそうだ。

 あるお経にも
「真理は、お前のすぐ近くにあるのに、遠くを探すバカ者よ」
とあるが、この事を世間の簡単な言葉に置き換えれば
「灯台もと暗し」とでも言えようか。
ワシらも一事が万事で、
まず足元から整えて行かなければならないのである。

 あるお寺での話じゃ。
ある檀家のばあさんが、お寺へやって来て、
「うちの放蕩息子(ほうとうむすこ)が
先祖伝来の田端を売り払おうとして困っております。
和尚さん、何とか説教して、それを引き止めてくれんか」
と言う相談に来た。
 和尚は「よしよし」と引き受けて、翌日、その息子をお寺に呼びつけて、
「今、お前とこの家系図を調べておったら、
どうも、お前のとこの畑のどこかに財宝が隠されているらしいんじゃ。
だから、売るにしても、そう安く売ってはいかんぞ」
と和尚が言った。と、息子は、
「エッ、本当ですか」と喜んで、
すぐさま自分の家に飛んで帰り、さっそくクワを持ってきて、
それで自分ところの田畑をそこらじゅう掘り起こし始めたんじゃ。
毎日毎日掘り起こして、隅から隅まで掘り起こしたもので、
畑はすっかりきれいに耕されたのだけども、結局、何も出て来ない。
で、息子は、
「これはどうも、和尚に一杯食わされた、こんちくしょう!」
と思って、お寺へ行き、もの凄い剣幕で
「おいクソ坊主!」
と一言怒鳴ったら、和尚もすかさず
「バカもん、お前が耕した畑に早く麦をまけ!」
と言ったのだ。この一言で、その息子はハッとわれに返って、
「何とオレはバカだったのだろう。
ロクに仕事もしないで、飲む打つ買うの三拍子、
その上、こともあろうに先祖伝来の田畑を売り払おうとするなんて!」
と・・・・・。
先程ワシは、
「真理は、お前達のすぐ近くにあるのに、遠くばかりを探すバカ者よ」
というお経の一節を紹介したが、この和尚の「麦をまけ!」の一言に、
「宝物と言うのは、決してよそにあるのではなく、
この生活の額に汗して働く真っ只中にあるんだ」
と、その息子は、はたと気がついて、
それからは日々一生懸命に働いたという話なんじゃけれども。

 脚下を看よとは、深く自分を照らし見ると言う事じゃ。
「今、自分はどこのたっているか」と。
お前が今いる所、立つも座るも、食うてもタレても、
そこは貴重な人生の真っ只中なのだ。
お前は、その貴重な人生をイタズラに足踏みをしてはおらんじゃろうか。

 チータも「幸せは歩いてこない、だから歩いて行くんだよ♪」
と歌っておるが、
お前も「脚下を看よ」を胸に修めて人生を一歩一歩あるいてみんかい。


            喝!!