(オレの家の近所の事を書いた人の、お詫びの書き込みに対して)
  隠れ家もろ直送・信哉便 21
  投稿日 2001年1月20日(土)19時11分 投稿者 佐藤信哉

お詫びの人。そんなものしなくてもいいから、こんどからペンネーム変え
てくれ。
そっちのほうが、なおありがたい。で、「世間は狭い」んじゃない。
それだけ「ミスターバイクという雑誌は売れている」ということなんだよ。
けーはははははは!

おい、ところで今表に隠してある缶ビールを取りに行こうとドア開けたら、
なんだ、雪が積もってるぞ! 定規で計ったら15ミリ。雪国の連中からして
みたら、笑わせるな、というぐらいの量だが、川崎人にとっては、これは
えらいことだ。

今回は、それだけだ。私はまた原稿を書く。

 

(シンヤデイの情報等は、ここと雑誌とではどちらが早いのか、という書
き込みに対して)

  隠れ家もろ直送・信哉便 22
 投稿日 2001年1月20日(土)22時25分 投稿者 佐藤信哉

やい、黄緑panda。やい、というのはちと古臭いが、とにかくやいだ。
そんなのおめ、こっちのほうが早いに決まっとろーが。
あっちゃーなあ、月刊誌なんだぞ、月刊誌。システムは分からないだ
ろうが、一番最後まで粘れるページは、活版といって、あのザラ紙の
ページだ。
だが、しかし!
それでもマジ、喧嘩寸前の状態まで引っ張っても、6日発売の本なら、
25日とかそこらが限界なんだよ。それを少しでも越えてしまおうなら、
ものすげえ低い声の話し合いか、怒鳴りあいかの、ほんとうにやばい状
態になってしまう。
だが、しかし!
と、言っても、オレは近藤健二と何度これをやったか数え切れないが。

だがな。しかしな。それは印刷所を通さねばならないという紙の雑誌の宿
命のようなものだ。
こっちは、そんなものねぇんだよ。
書いたのを、編集部が見た、その時点イコール読者の目。
ゆえに、こっちのほうが早ぇに決まってんだろが、圧倒的に。
なにしろ、こっちは電子だからな。
えれくとろにくすだかんな。
なんだか書いていて興奮してきたぞ。君、別に悪い事とか書いてないのに
なあ。
あはははははは! まあ、そう言う事だ。

追伸・オレの家の前は、すでに7センチ近い大豪雪だ。

 

(シンヤさんは雪道を走ったことがありますか? という書き込みに対して)
 隠れ家もろ直送・信哉便 23
 投稿日 2001年1月21日(日)01時24分 投稿者 佐藤信哉

さあ、やっと入るぞ。
「オーバー300キロの第3話」と「万引きババア」の続編が。
写真を入れて、どうのこうの・・・と当初は予定していたのだけど、余計
なことしようとして間が開いちゃうよりも、まずは文章が先だと入れちゃ
ったよ。そのうち、前のやつとかでも、写真を追加挿入していくというこ
とで、もっと見やすく、読みやすくしていくつもりだ。

ところで忍者君、雪道の走行があるかって? 日本で初めて「流氷の上」
を走ったのは、オレだよ。
なんだかこの手の話は「自称」としてよく聞くけど、あまりに危険だとい
うことで、網走市役所に正式に許可を申請したときに、「前例がない」と
いうことで、ドライスーツという特別な服を着用という前提で許可が降り
たものだから、正式に間違い無いことだよ。1985年の3月始めのことだ。
あとね・・・まあいいや。とにかく、あるよあるよあるよ。

 

(あるバンドのメンバーに似ている、という書き込みに対して)
 隠れ家もろ直送・信哉便 24
 投稿日 2001年1月23日(火)20時25分 投稿者 佐藤信哉 削除

「関係ないけど・・・」と書き込んだ、魂走会のMARU。

「信哉さんて、○×にそっくりですね」ではなく、「○×って信哉さんに
そっくりですね」
というところが、大変よい。
私はそういう表現をとても好む。

しかるに、こんな話しを教えてあげよう。
私はその「zuzu」という人は知らないが、おそらく、それより
もっともっともっと、ず〜っと似ていると思われる、役者さんの話しだ。

もう10年ほども前の話しになるが、下北沢に住む女の子から、電話が掛
かって来た。
「近所の電柱に、ポスターが張られているんだけどさあ、
シンヤさんって、演劇とかもやってるの?」
「やってねぇよ」
「でも、シンヤさんだよ、アレは」
「知らねぇよ。なんだそれ」
「そんじゃあ、自分で確かめてよ。あははははは!!」

それっとばかりにバイクを飛ばして駆け付けた。
商店街を流すと、それはすぐに見つかった。
見て、仰天した。

「なな、なんだこりゃあ!! こ、こりゃあ、オレじゃねぇか!!」

もちろん、オレであるわけがない。他人の空似だ。
だが、それではとても済まされないほどに、激似している。
電話を掛けたくなるのも頷けるというものだ。

それは、4人が並んでいるポスターだった。
主役らしき男の顔には見覚えがあった。
当時としてもそこそこに売れている役者であった。
後年・・・今から4、5年前のことだろうか・・・
ホンダ宗一郎と、副社長である藤沢武夫との、出会いと友情を描いた特別
ドラマが、テレビで 放映されたことがあったのだが、その時に、藤沢武夫
の役をやった男である。
名前はたしか、田村だか、村田ナントカと言ったと思うが、忘れた。

とにかく、その中のひとりは、何から何まで、まるで、「オレ」だったの
である。
オレは右から2番目に、オレがよくやるように、こぶしを突き出すようにし
て、突っ立っていた。

ジーパンが同じなのはいいとして、黒い革のベルトが、同じ。
革のヤツレ具合も、色のハゲ具合も同じ。
Tシャツも同じデザインで、いつも着ているのと同じ、黒。
髪型も、ふだんのオレと、そっくり同じ。
体格・体型も同じ。・・・ちゃんと、みんなより、少し小さいのだ。

それでだ。それで、だ。ここまでは、まだいいとしよう。
問題はというか、肝心なのは「顔」だ。
とどめはこれだった。
誰かに、勝手にオレの写真を使われたのではないか?、とまず疑ったほど、
クリソツなのだ!!

仰天が収まったあと、今度は思いきりおかしくなって来たオレは、 ここ
まで似ていれば、張った奴も文句は言うまいと1枚ひっぺがし、丸めて持
ち帰った。
そして、それをミスターバイクの編集部の壁に、黙って張っておいた。

すると・・・みんな、オレだと思ってしまったのである!!

「へー。シンヤって、こんなこともやってたんだ」
「知らなかったな。今度、○×のサインとか貰ってよ」

それで、オレじゃねぇんだよ、と教えてやると、みな飲み物を吹き出さん
ばかりに仰天する。
「へっえぇぇー!! 世の中に、自分にそっくりな奴は3人は居る、とはよく
言われるけど、 こりゃ、その典型的な例だね・・・あはははははは!!」

家に持って帰っても、家族に見せても友だちに見せても、みな反応は同じ
だ。
目を剥いてじっと見続けた後、ぎゃはははは!! と笑い出す。

こんなもの、もう2度と手に入らないだろうと、そのポスターはまだ大事
に取ってあるのだが、 果たしてあの男はどこの、誰で、いまなにをしてい
るのだろうか・・・。

いつか、見せてあげるよ、このポスター。

さあ、また違う話を書くとしよう。
昨日はなにも書かなかったからね。

 

 隠れ家もろ直送・信哉便 25
 投稿日 2001年1月23日(火)21時11分 投稿者 佐藤信哉 削除

このHPを立ち上げてから、まだ半月ちょっと。
 その間に、オレは25回もここにお話をぶち込んでいる。
「読み物の部屋」とは、全然別個にね。

こんなに頻繁に内容が更新されているHPなんて、きっと日本中探しても
ないよ。
 少なくとも、バイク関連のHPでは、皆無だよ。

うれしいだろう。うれしいと言っておくれ。すると私はターボが掛かる。

なぜ、こんなに頑張っているのか、教えてあげようか。

それは、みんなが好きだからだよ。

オレがここまでなんとかやって来られたのも、みんなのおかげだよ。

みんなが、シンヤさん、シンヤさんて応援してくれたからだよ。

オレはほんとうに、そう思っているんだ。
トップページのメッセージのところに

「できるときに、できることを、できる限りやる」

と、いうのが、オレの考え方のひとつにある、
というようなことを書いたが、であるならば、そんなみんなのために、
みんなが、楽しみにしていてくれるのであるならば、
みんなが、よろこんでくれるのであるならば、
オレは、
「書けるときには、書かなきゃいけないぞ」
と思うのだ。

これは、オレなりの、みんなに対する、
ある種の恩返しでも、あるのである。

しかし。
「できるときに、できることを、できる限りやる」
ということは、それは、
「できなかったら、できないのだから、やらない」
ということと、表裏一体なわけだ。

したがって、
「ある日、突然ぷっつりと書き込みが途絶える」
「待てど暮らせど、何も書いてくれなくなってしまった」
「いつ書き込まれるのか、こっちはヤキモキしてたまらない!!」

ということにも、また、なるわけだ。
そして、それはいつやって来るかは分からない・・・
きゃはははは!!!!  私はこういうジョークを好む。

ぎゃはははははは!!!!
うそびょーん。

さて、では昨日、スキーに行った話でも書くとしよう。

 

 隠れ家もろ直送・信哉便 26
 投稿日 2001年1月23日(火)23時21分 投稿者 佐藤信哉 削除

「ね、明日さあ、親父、スキー行かない?」
セガレの、優哉からの電話だった。
「いいよ。どこ行くの」
「天神山」
「いいよ。行ったろうじゃ、ねぇか!!」
「なにもさあ、そう、怒ったように言わなくてもいいじゃん」
「ぎゃははははは!!」
オレはよく笑う。
「まあいいや。明日、そんじゃ5時ね」
「5時? なんでそんな早く行くんだ?」
「いやあ、駐車場とかさあ、いい場所がとれなくなっちゃうんだよ」
「そうか。分かった。私は了解した」
「じゃ、家の前で5時ってことで」
「パパは了解した」
「じゃ切るよ」
「親父は了解した」
「切るよ」
「おまえの創造主は了解した」
「たーのむよう、親父ぃ。おれちょっと、用事あるからさあ・・・」

 私は知っている。私はおまえのすべてを知っている。
なぜなら、私はおまえの偉大なる創造主であり・・・
受話器からは、ツー・ツー・ツーという音が流れていた。
オレはまた、そのまま仕事に没頭し始めた。

2日ばかり前に関東地方は雪を食らっていたので、弟からプラドを借り
て、セガレの彼女だダチだと5人で詰まって東名に乗った。
足柄のSAで飯を食うことにした。
しかし、みんな出かける前に、なにかしら口にして来たという。
食ってないのは、オレと、日産でメカニックをやっているイガグリ頭の
男のふたりだった。
「シンヤさん、そんじゃあ、いっしょに食べますか」
セガレの友だち全員に、中学生の頃からオレは、「シンヤさん」と呼ば
せていた。
「ユウヤのおじさん」
などと呼ぼうものなら、猛烈な反撃を食らう。
「おまえな、何度言ったら分かるんだ? ユウヤのおじさんてのは、オレ
の弟のターちゃんのことで、オレは、ユウヤのおじさんではなくて、お父
さんなんだ!!」
「あっ、はあ、そうでした。そんで、あの、ユウヤのお父さん・・・」
「おとーさんて、なんかそれ、オレたまに、とてつもなくこっ恥ずかしく
感じるときがあるから、それも、やめてくれよ」
「・・・・・・」
「シンヤさんと呼べ。そのほうが、オレも親近感が持てる」
「はあ、わかりました。シンヤさん・・・」
 以後、ずっとこれだ。

「おい、一緒に食うのは全然いいんだけどさあ。ほんとうにおまえ、
オレと一緒に食うの?」
「はあ。何か問題でもあねんですか?」
「一緒に食うってさあ、大変なんだぞ。で、どっちがかけ声掛ける?」
「あ、いやあ、まあそのう・・・はあ」
「おっやじぃぃー。まーたそのしょうもないギャグ言ってるぅ。もう
そろそろなにか違うの考えたら?」
セガレに聞きとめられ、鼻で笑われた。
「ユウヤなあ、人間、歳を取ると、なかなか物が捨てられなくなるものな
んだよ。
おまえも、いずれ親になれば、分かる時が来るとお父さんは思が・・・」
「それってさあ。話しめちゃくちゃピントが外れてない?」
「いや、そんなことはないと、思うがなあ」

御殿場で降りて東富士五湖道路に乗り、河口湖で降りた。
天神山スキー場に着いたのは、8時頃である。
すでに10台ほどは先客が居たが、早出したおかげで、入り口にもっとも
近い、最前列にプラドを停めることができた。ちょうど、前回SDをやっ
たときに、ミュージシャン連中の楽屋を設置したあたりの位置である。

みなが着替えだして車内が広くなったのを機に、オレはシートをリクライ
ニングさせ体を延ばした。

「親父。ひょっとして、また寝てないの?」
「うん」
「完徹?」
オレは父親らしい、威厳に満ちあふれた声で言った。
「ああ、そうだとも」
「なんだようー。まさか、また、このまま寝ちゃうんじゃあないでしょう
ね?」
前歴は、ある。腐るほどに。

「うん。セガレよ、聞くがよい。人生には、いいろいろと解決しなければ
ならない問題が、あるのだよ。おまえもいずれ・・・」
「まーた始まったよー。ね、いい? スキー場に、スキーをしに来たのに、
それをやらないで寝てしまう・・・てさ、ね? こんなばかばかしいこと
もないんじゃないの」

「私は、もう疲れてしまったのだよ。少しばかり、
人生という名のハイウェイを、飛ばしすぎてしまったようだ」
威厳を込めた声でゆっくりと語った。

「ンーなこと言ってないでさあ。いっしょにスノボやろうよう!!」
「どうやら、お別れの時が近付いてきたようだ。セガレよ、私の分まで楽
しむがよい。
・・・だがセガレよ、悲しむことはない。私は必ず復活する」
「あー、わかったから、わかったから。じゃあさ、取りあえず俺ら、行っ
て来るからさあ、
ね、そのあいだに、ちゃんと寝ててね? おれ、それじゃあ・・・
よし、1時、1時になったら、起こしに来るからね、親父」
みなまで聞かないうちに、すでに意識がなくなっていたらしい。

鼻の穴がカサカサに乾きまくり、
はなくそが痛いぐらいにバリバリになって、オレはふと目が覚めた。

何時だ。3時半? なに、3時半だとう?

オレは目を擦りながらゲレンデへと向かうと、みんなを探した。

GodSpeedの黒の防寒着に、ジーパンにGS2000というスタイルの
オレは、ゲレンデでは思いきり浮きまくり、目立ちまくっていた。
そこへ、ザザーッ!! と派手なブレーキングをかませながら、ひとりの
ボーダーが突っ込んで来た。

(うわっやばい、これは逃げなければ!!)

スキーもスノボもド素人のオレには、その人間がいま、
止まり切れないでいるのか、曲がろうとしているのか、
余裕があるのか、パニックなのかということが・・・・見てもまったく分
からない。

へっぴり腰になって狼狽していると、そのボーダーはすぐ横でズバッと止
まった。
「ヤッホー。やっと目が覚めたんだね。すぐ分かったよ、親父だって!!」
セガレだった。

「いや、ま、そうなんだがな・・・もう、4 時近ぇんだよな、はは」
「だってさー。親父、起きないんだもんよー。おれちゃんと起しに行った
んだけどさあ、白目剥いて、なんか分けわかんないこと言ってたんで、こ
りゃだめだと・・・」
「そっか。まあ、いいさ・・・」

セガレが呆れ顔をして、その先を引きついだ。
見事に、ハモッた。
「それも、人生だ」

「やるじゃねぇか」
「言うに決まってんだもん。分かるよそんなの」
「そうか」
「そうだよ」

オレはうおおっと呻きながら、両手を上げて、背筋を延ばした。
ゴキボキッと音がして、事故でひん曲った背骨が収まるところに収まった。
みなが集まって来た。
「あっ、シンヤさん、やっと復活しましたね!!」
オレは元気よく言った。
「みんな、帰りのことは心配するな。帰りもオレが、運転してってやる。
元気、全部使っちゃえ!!」

うわあとばかりに、みなはまたリフトへと繰り出した。
オレはスチール製の先芯入りのブーツでゲレンデの雪を蹴飛ばして捲き上
げながら、思った。

 (こういうのって、やっぱ、親バカというのだろうか?)

かまいやしねぇ。
オレにはオレのやり方がある。生き方が、ある。

 

そう思いながら振り返ると、建物の方のみんなが、オレのほうに顔を向け
ているような気がした。
いや、実際、少なからぬ数の人間が、こちらを見ていた。

オレは雪を意味無く蹴り上げるのをやめ、
寒いからだと言わんばかりにジャンパーの襟で顔を隠し、気配を消した。

                              了

 

 隠れ家もろ直送・信哉便 27
 投稿日 2001年1月24日(水)05時46分 投稿者 佐藤信哉 削除

いま、4 時間ばかり仮眠して起きて、目ヤニのままいきなりこれを書い
ている。
スキーに行った話を書いていて思った・・・というより、これは毎回書
いていて思うことなのだが、書き込む部分の画面の大きさが小さいので、
書きにくくて仕方がない。
いま定規を当てて計ってみたら、幅148ミリ、縦26ミリしかない。
文字数に換算すると、35字×6行分となる。
まるで、15年前のワープロサイズだ。

(注・しんぷるてきすととかの存在を、オレはまだ知らなかったのだ!)

こうなると、前後の文章を一覧することができないので、
どうにもうまくまとめることができなくて、歯がゆい。
いや、歯がゆいというより、物書きにとっては、これは最低であり最悪の
環境だ。
なにしろ、ここには、「書いた原稿の稿正」、つまり誤字脱字や、同じ言
葉の繰り返し、さらに全体の構成そのものと、雑多にわたってチェックす
る「編集者」というものが、いないのだ。
したがって、そのすべてを、ひとりで処理することとなるので、
どうにもしくじることが、ままある。

しかし、まあここはそもそも、そんなに長い文章を入れるなどという想定
は、なされてないところなので、これはいた仕方のないことなのだろうと
オレは半分諦めている。

(諦めるなっちゅうの!)

言ってみれば、モンキーやゴリラを買って、
「荷物を積むスペースがほとんどない!!」と騒いでいるようなものだから
な。
早く新聞配達カブのような「読み物ページ」に直接書き込めるようになり
たいものだ。

(できるんだって、そんなの簡単に!)

・・・でも、ここでそれをやってしまう、というのがまた良かったりして。
どうなんだろ。みんなの意見を聞かせておくれ。
まあ、いまの気分としては、スタローン主演の映画「ランボー」の元と
なった小説の原題である、
「たったひとりの軍隊」のような感じだ。

(大袈裟に言うなよ大袈裟に!)

・・・なんだかかっちょいいな。
私は書いていて、自分で興奮してきた。

(私はけっこうおめでたい人間かもしれない・・・・)

 

それはいいとして、だいぶ前にも一度書いたが、オレは今度の火曜日、
つまり30日に、札幌は「すすきの」に遊びに行く。

実は、SDに何度も来ている、札幌在住の砂澤さんという人がいるのだが、
「こっちでもSDを開催できないだろうか、下見に来てもらえないだろう
か」
というところから、この話しは始まったものだ。
オレは最初、
「SDをやるのはかまわないが、悪いけれど、オレは特定の人物やグルー
プ、あるいはショップに肩入れしたりすることはできないよ」

と断ったのだが、こっちの連中、本州でやるSDとかには、行くことがと
ても難しいので、SDが開催される度に、いつもみなストレスを溜めてい
る、うらやましがっている、しかるに、
なんとかこう、一度こっちの人間に励みを与えるような場を、作っては
もらえないだろうか・・・
と、いうので、それならばとオレも考えたわけだった。

決定打はこれだ。
「それであのう、自分らの関係者だけではなくて、ふだんつき合いのない
連中も、誰でもが参加できるようにして、皆なの横の繋がりもそれを切っ
掛けに広がればいいなと考えているのですが・・・」

特定に肩入れしない、誰もがみんな、というのであれば、それはそれで、
また北の連中に  おもしろい繋がりが、仲間が増えるのではないかと、オ
レは気持ちよく承諾した。

もちろん・・・SDをもし開催するのであれば、
しかしよう。
あたり一面雪野原だってのに、いったいどうやって視察すりゃあいいって
んだ? あははははは!!

でだ。そんなこんなの打ち合わせが終わってから、
北の連中みんなで集まって一杯やらかそうとなったわけなのだが、
場所は、中央区南7西3町目にある、「イアーズ・バー」というところで、
時間は9時半から。
フリードリンクでひとり3500円ということだ。

入りきれる人数等の問題もあるので、俺も行くぞという奴は、事前に連絡
を!

 

(読者がしんぷるてきすとでの書き込み方を教えてくれた)
 隠れ家もろ直送・信哉便 28
 投稿日 2001年1月25日(木)22時22分 投稿者 佐藤信哉 削除

コレハ便利!!
画期的ナ方法、ツイニ発見サル!! ( モンキーニアラズ )

情報源ハ読者諸君ノ書キ込ミナリ

コレハソノ世紀ノ大発見ノ、実施テストデアル。
ハタシテ、送信ハ、ウマクイクカ!!

タダイマヨリ、其ノテストヲ開始スル。

 

チェックメイト・キングツー チェックメイト・キングツー
こちらホワイトロック こちらホワイトロック
ただいまの文字は49ワード・無改行で送信中。

さとうしんや

さるまたのさ
とうちゃんのと
うんこのう
しみったれのし
おしまいのん
やりまくりのや

ただいまの文字、一角アケ含み42ワードで送信中。

godspeed

ごっつええわのG
おま○このO
童貞のD
素股のS
ピンク色のP
エッチのE
ええわええわのE
出るぞのD

ただいまの文字、51字目で改行・当方横文字不得手
また、なぜか画面上では49文字部分よりも1.5角分ほど短かし。
横文字の影響か。文末は「ぞ」

サア、結果ハ、イカニ!!

送信ノ合図ハ、オハヨウ子供ショーカラ頂クトシヨウ!!

ロバ君、ロバ君、いち、にの、ポン!!

(私はやはり、おめでたいと思う)

 

 隠れ家もろ直送・信哉便 29
 投稿日 2001年1月26日(金)01時04分 投稿者 佐藤信哉 削除

私はいま、とてもうれしい。
しんぷるてきすととかいう、読者ページの書き込み欄に比べたら、
とてつもなく巨大な画面で、文字を入力することができるようになった。

あまりにうれしいので、少し前まで遡って、質問等に答えよう。

22日のkoujiさん。
10000Hテストにオレはいないのか、ということだが、いないよ。
あの時は確か、編集部の石井とか、フリーで出入りしていた牧園だとか、
そのあたりの連中10人で、ひとり1000Hのノルマでやったんだよ。
あまりにハードだったんで、石井なんかヘロヘロになってしまって、途中
ですっ転んじゃってな。それで、修理のために一時中断したりして・・・。

オレよか確か、みんな4つ5つは年上の連中だったから、いまはもう、み
んな  50近いはずだ。
それが、若さってもんよ。
もっとも、またやるかとなったら、歳を食った事を認めたくないぶん、
「やったろーじゃねぇか!! 」
なんてまた敢て名乗り出て来るのかもしれないけどな、はは!!

で。君、「300kmのビデオを・・・」ということも後日書き入れてい
るけど、アレね、どっこ探しても見つからないんだよ。
ツクバサーキットでやった、松本ケンメーの結婚式の披露宴のときに持っ
て行ってみんなに見せたり、いろいろやっているうちに、どっかいっちゃ
った。  
まあ、絶対に捨てるわけないから、どこかの箱の中か、戸棚の奥にでも入
っているのだと思うけどね、とにかくいまは分からない。

そういえば、ケンメーと一緒に、砧の白バイ訓練所に、勝負挑みに行った
こともあったなあ・・・。
このときの話は、またいずれ書くとしよう。

同じく、22日の飛白さん。
ピストンリングの交換なんて、自分でやっちゃえ、やっちゃえ!!
あんなもの、1本ぐらい折ったところでそう大した価格のものじゃないん
だし、だいたいからして、外すときにわざと少し無理してみて、
「どこまで負担を掛けたら折れてしまうのだろう」と、
勉強にしてしまえばいいじゃんか。
どうせ外したやつは、捨てちゃうんだからさ。
それをエジキに、新品の扱いを考慮すりゃあいいってことよ。

そういやあ、「 シンヤさんは定規マニアですか? 」と書いた人がいたね。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
それにはオレの弟の、ターちゃんが大きく絡んでいる。
いや、ターちゃんがなあ・・・

あーあ。 なんだかもう、眠くなってきちゃった。

この話しはまた書こうっと・・・。

(いまだに書いてない)

 

 隠れ家もろ直送・信哉便 30
 投稿日 2001年1月26日(金)23時30分 投稿者 佐藤信哉 削除

おやおや、「ロバ君」というのは、元GOGGLE編集部員で、現在はフ
リーの立場で再びGOGGLEの編集に携わっている、「ロバ」というあ
だ名で呼ばれていた、中村浩史君・推定33才前後の人だね?
あれでは何者か分からない人が多いだろうと、私が代わりに説明をし
てあげたよ。
昨日、ちょっとした野暮用があって、編集長のナベリンこと渡辺昌彦・
推定48才前後  千葉県大多喜町出身に電話したとき、ここのHPの読
者に何か一言ねぇか、と聞いたら、
「・・・えーと。えーと、うんと、あのー・・・」
とドギマギしちゃってちゃんと答えてくれなかったので、私はとても楽
しかったよ。
ロバ君。また遊びに来てね。

で。もう、松本ケンメーなんて聞いたこともない、という人が出て来る
ような時代になってしまったんだね。
ケンメーは、4大メーカーのワークスマシンを相手に、ロードレースの
500ccクラスで大暴れし、プライベーターとしては最高位の地位まで
登りつめた男だよ。
ただし、いつもものすげえ無理をして半分特攻隊のような走り方をして
いたから、しょっちゅう転びまくっていたけどね。
ものっすげえホラ吹きで、ハッタリ屋でな、そんな性格が走りに完璧に
現れているという、だからこそ見ていてもおもしろい人物だった。
あんな強烈なキャラクターを持ったレーサーなど、もう二度と出て来な
いだろうね。
今はなにしているのだろう。
ケンメー、もし来れ見たら連絡をくれ。

さてと。では、そのケンメーと、砧の白バイ訓練所に勝負を挑みに行っ
た話を書くか。

だが、そのまえにちょっと片付けなければならない用事がある。

次の書き込みを待て。