隠れ家もろ直送・信哉便 31
投稿日 2001年1月27日(土)00時55分 投稿者 佐藤信哉 削除
あれは、いまからもう12〜13年前のことだったか。
当時辣腕を振るっていた石井は、なんとかして、オレとケンメーを戦わせようとしていた。
ストリート・レースで、である。
プライベーター最高位の男と、天下にその名を轟かす、ストリート・レーサー・・・
石井の頭の中には、キングコング対ゴジラのような図式が出来上がっていたらしい。
だが、オレはどんなにアオられてもノセられても、絶対に首を縦に振らなかった。
なぜなら、それはかなりの確率で、どちらかが死んでしまうことに、
なりかねないことだったからである。
オレもケンメーも、負けるのはいやだ。
すると、結局は限界を越えるようなコーナーリングや、
阿呆のような最高速持続状態の継続となってしまう。
その先にはなにがあるか?
ストリートの場合は、いくら自分が自分が、俺が俺がと腕を自慢したところで、
それは第三者の出現により、あっけなく前提が崩れてしまうものなのだ。
ブラインドコーナーに、全開で突入して行く。
法定速度を守って走っているクルマの横を、150キロを超える測度差でブチ抜いて行く。
それがなにを意味していねのか、このことが、どんなことを意味しているのか、
オレはその頃には知り過ぎるほど知っていた。
あと5年早ければ、また話しも違っていたかもしれない。
オレも、少しは分別のつく年令になっていたのである。
それで、そんな流れから、オレとケンメーとで、砧の白バイ訓練所で定期的に開催されている、
「安全運転講習会」に潜り込み、そこでふたりにひと暴れさせてみようじゃないか、
ということになったのだと記憶している。
当日は、かなりの台数が参加していた。
オレとケンメーはそのなかに、目立たないようにして紛れ込んでいた。
バイクは、オレがXLR250のドノーマルで、ケンメーがGSX1100Eの大改造車だ。
実は、オレは17のときに、ここで白バイ隊員と一度勝負した経験があった。
それも、「隊員の指導員」という、親玉と・・・である。
免停の講習に行ったときのことだった。
巷には、こんな噂が飛び交っていた。
「ここでな、教官に勝ったら、コーラ半年分くれるって話しだぜ」
よくある、他愛もない噂話しなのであるが、とにかくオレは意気込んで出かけた。
負けるつもりはなかった。
当時から、白バイ隊員などなにほどのものか、という自信がオレにはあった。
そしてさらに、乗っていたのは、軽量・コンパクトな車体に2サイクルで400ccという、
大排気量のエンジンを搭載した、あの歴史に残る名車、ハスラー400だったのである。
実際、当時、市街地での勝負ならコイツは史上最強ともいえる速さを持っていた。
なにしろ、信号待ちでのゼロヨンごっこであるならば、当時最強と謳われていたCB750
を持ってしても、勝つことは極めて難しかったほどにダッシュがいい。
そして、スリムな車体は阿呆のようなバンク角をもたらし、軽い車重はおもしろいように
左右への切り返しを可能とする。
「君たち。今日はここで、存分に自分の腕を試してごらんなさい。
限界を知るということは、大いに安全運転にも役立つことなんですよ」
教官が先導し、アヒルの行列が始まった。
教官の直後に陣取ろうと企んでいたのだが、スタート時の混乱で、
オレは3番手に位置してしまっていた。
大蛇のように、隊列はのた打ち、くねりまわる。
前の2台が邪魔で仕方がないオレは、
教官がミラーから目を離した隙を見計らい、縁石を乗り越え、
グリーンを突っ切るという反則技を使い2台をパスし、
教官のバイク、CB750の直後に張り付いた。
( 目に物見せてくれるわ!! )
勝負の火蓋は切って落とされた。
つづく
(ホームから転落した人を助けようとして、韓国からの留学生と、
カメラマンの方が亡くなられたという報道に対して)
隠れ家もろ直送・信哉便 32
投稿日 2001年1月27日(土)18時56分 投稿者 佐藤信哉 削除
大介とか、TOM!
君たちのような人間が、このHPの読者であるということを、
オレは誇りに思う。
あのニュース自体はなんともやるせないものだけど、
それを、こんな感性で受けてめている人間がいる・・・
それだけでオレはとても救われた気持ちになる。
こういう書き込みは、もっともっと、バンバン入れようぜ。
なあ、オレ、トップページの『メッセージ』のところに書いたろう?
『人は互いに理解し合わなければならない』って。
『そして理解するためには、相手を知らなければならない』って。
『しかし、そのチャンスも方法も、現実では限られてしまっている』
『だが、ここにはその壁を打ち破る、大きな可能性が秘められている』って。
そして、こう加えてあるハズだ。
『みんなが自由に書き込めるサイトを作ったのもそのためだ』・・・と。
オレ自身、君たちの・・・
どこに住んでいるとも知れない、会ったこともない、
しかし、オレと同じこの国のどこかに確実に存在している君たち・・・
の考えを知り、涙が出るほどうれしいよ。
「まだまだ、オレたちの国だって、捨てたもんじゃねぇぞ!」ってな。
少年犯罪を初めとする、暗いニュースばかりが続いている。
続けば続くほど、みな疑心暗鬼になっていく。
(あいつも悪党なんじゃないか?)
(こいつも、なにかやらかそうとしてるのではないか?)
事件や事故は、ニュースとして大々的に報道される。
その結果、人は、悪い面や、悪化している現状のほうばかり、
知らされることとなる。
これではみんな、気が滅入るばかりではないか。
ここに書き込む人の数は、他のBBSに比べたら、めちゃくちゃに多いらしい。
だが、訪れて、「読むだけ」、という人のほうが、遥かに多いのだ。
みんな、思ったときに、すぐに書けるわけではないからね。
だからこそ、書ける人は、大いに書こうじゃないか。
君たちのようにさ。
「ああ、こういうことを思っている人間というのは、
自分だけじゃなかったんだ・・・!」
「ああよかった。少し、元気が出たぞ!」
こうなれば、うれしいではないか!
もちろん、オレはその頭を切って行く。
先頭に立って、機関車になって、ガンガンと引っ張って行く。
みんなで、頑張ろうぜ。
21世紀は、このHPを核にして、オレたちの手で・・・
それぐらいの勢いで、やって行こうじゃないか!
2001年、1月26日夜。
東京新宿、新大久保駅。
見知らぬ人間であるが、命に拘わるほどの、窮地に陥っている人間がいた。
それを見て、ためらわずに突進した、勇気あるふたりの男が、いた・・・。
関根史郎さん。
李秀賢さん。
心からご冥福を祈ります。
隠れ家もろ直送・信哉便 33
投稿日 2001年1月29日(月)21時52分 投稿者 佐藤信哉 削除
やっと書く余裕ができた。
kazu中西君というのは、カワサキバイクマガジンの人だね?
その下は、GOGGLEの中村君だね。
それに、チャンプ編集部の人間とか・・・
けっこう業界の人間が読んでいるようだね。
でも、おもしろいことに、オレが書き込まないと、みんなの書き込みも、止まる。
オレの脳波と連動しているのだろうか。
ちがうだろうな。誰も書き込んでないところに、ポッと入れるというのは、
きっとなにか、抵抗のようなものがあるんだろうな。
さあ、ではまた始めるとするか。
シャワーを浴びてサッパリとしたら、打ち込むぞ。
隠れ家もろ直送・信哉便 34
投稿日 2001年1月29日(月)22時58分 投稿者 佐藤信哉 削除
直後に張り付いたオレをミラーで見た指導員は、
少しペースを上げた。
オレの後ろでは、相変わらず蛇のような状態が続いている。
指導員は、また少し、ペースを上げた。
オレは、ピッタリと張り付いたままだ。
1周すると、指導員は白バイを停めた。
「さあ、みんな、コースは分かったか?」
「では、これからもう少しペースを上げて周回するので、
各自、充分に注意して走ること! 」
ガクッとペースが上がった。
だが、まだオレは3メートルほどの車間距離を保ったまま、追従していた。
後ろとの距離は、すぐに開きはじめた。
やがては、指導員とオレとのランデブーのようになった。
クソガキに張り付かれておもしろくない指導員は、
グングンとペースを上げて行った。
( これはおもしろいことになって来たぞ! )
ところが、思いもしない障害が持ち上がった。
あまりにも飛ばしてしまったので、
たちまち最後尾に追い付いてしまったのである。
そのため、徐行するようなスピードまで落ちてしまったまま、
残された数周を走るハメ外なってしまった。
白バイを止めた指導員は、バイクを降りてから、さり気なく聞いて来た。
「君は、レースかなにかをやっているのかね?」
「いや。やってないよ、そんなもの」
「それにしては、ずいぶん上手だねえ。どこで覚えたんだ? 」
「そのへんで」
オレはそう言って、河川敷のほうをアゴでしゃくった。
ふーん、と言ってから、指導員は、仲間のほうへと歩いて行った。
仲間となにやら話し込んでいた。
「さて、ではこれから、2回目の練習に入ります。
もうみなさんも馴れて来たでしょうから、速い人はなるべく前、
遅い人は後ろのほうに付くようにして走って下さい。
追い越しは、基本的には禁止しているのですが、やむを得ない場合は
直線部分で、ホーン等で合図してから慎重に行って下さい」
先の指導員が、みなに告げた。
そして・・・こう加えた。
「えー、それでですね、この2回目の走行は、本日は特別に、
我々指導員の、指導員である、○×自らが行ってくれることとなりましたので、
みなさんは、幸運だと思います。テクニックを、存分に学んで下さい」
( 指導員の、指導員!! てことは、親玉ってことか!! こいつはおもしろくなって来たぞ!! )
その親玉が、ズイッと前へ歩み出て来た。
CB750のエンジンに、火が入った。
つづく
(同業者からの書き込みが多いのに対して)
隠れ家もろ直送・信哉便 35
投稿日 2001年1月30日(火)07時56分 投稿者 佐藤信哉 削除
おおっ。今度は「パーツBG」誌の人間から書き込みが来たか。
長文で失礼?
なにが失礼なものか。
読みごたえがあって、おもしろいじゃないか。
遠慮は無用。バンバン書き込んで、パーツBGと、自分自身の宣伝を、
おおいにすべし。
言っておくが、住居君。
君とオレは、立場はあくまでも、「対等」なんだからな。
バイトだろうがなんだろうが、同じ仕事に携わっている人間として、
お互い「フリー」同士だろう?
だから、なにも気にするな。
さて、オレはこれから飛行機に乗って、札幌へと飛ぶ。
今夜9時30分、中央区南7西3丁目・第5ジャスマックビル4F
「イヤーズ・バー」
フリードリンクでひとり3500円。
お店の電話番号は011-513-0267だ。
みんなで集まって、おおいに騒ごうじゃないか。
些細な事で、おおいに笑い合おうじゃないか!!
おおい、おおい。
待ってろ、札幌のバイク乗り。
いまから行くからな!!
さあ、それでは置き土産として、
白バイの親玉と対決した話しの続きを入れていくとするか。
( 戻るのは明日の夜だが、向こうからもここの書き込みは見ているから、
みんなまたガンガンぶっ込んでな!! )
すぐに、親玉とオレとのランデブー状態となった。
それまでとは、比べ物にならないほどペースが上げられていた。
あの小生意気なクソガキに、目に物を見せてやる!!
天下の白バイ隊の実力がどのようなものか、思い知らせてやる!!
安全運転のための講習というより、まるでジムカーナと化していた。
それでもオレは食らい付いていた。
加速し、減速し、倒し込み、パーシャルで回り、立ち上がって行く。
先ほどの指導員についてもまったく同じ事が言えるのであるが、
すべての動きが、滑らかなこと、このうえない。
我流の極め付けであるようなオレの走りとは、
それは正反対に位置するものだった。
まるで優雅な踊りのようにヒラリ、ヒラリと舞って行く白バイ隊の親玉。
速ければそれでいいのだと、平気で足は出すわ、半クラッチは使うわ、
縁石をバンク代わりに使い、前輪をぶち当てて回って行くオレ。
最後尾に追い付いては徐行し、極低速走行の勝負に切り替えて車間距離を稼ぐ。
稼いだら、またジムカーナの続きへと移行する・・・
そんな走りがくり返された。
規定の周回数を終えた親玉は、全員を並べて短い挨拶をすると、
そのままどこかへと消えて行った。
最後まで引き離すことができなかった、オレを、完璧に無視して・・・
みながやって来て、口々に称える。
おまえ、すごいではないか!!
白バイの教官とタメ張って走れるなんて、すごいぞ!! と。
「たいしたことァ、ねえや・・・」
若いオレは、称えてくれる見知らぬ人間たちに対し、そう見栄を切っていた。
だが、誰よりも、分かっていた。
オレは、完璧なまでに、負けていたのである。
コテンパンに。
徹底的に。
あいつは、絶対にニーグリップした足を崩すことなく走り切ったのだ。
まったく余計に吹かすことなく、まったく余計にクラッチを使うこともなく。
そしてなによりも・・・あいつは、CB750という鉄の塊で、
あの重たく、巨大なオートバイで、無造作にオレの前を走り続けていたので、ある!!
( これがなにを意味しているのか、おまえらに分かるか? )
( これが、どれほどの技術の相違を現していることなのか、おまえらに分かるのか? )
もし、同条件でやっていたら・・・
おなじバイクで、勝負していたら・・・
オレなど、まるで赤子の手を捻るがごとく・・・
白バイ、恐るべし。
規則にガンジガラメにされているハズだから、大した技術は培われないだろう・・・
そんなふうに勝手に思い込んでいたオレは、自分の浅知恵を恥じ、そして悔いていた。
こんな思い出があったので、オレは松本ケンメーに、
「侮っちゃいかんぞ」
と忠告したのだった。
だが、ケンメーはそんな忠告などどこ吹く風、
「 ? そうかい? 」
と言って、涼しい顔をしているのだった。
つづく
隠れ家もろ直送・信哉便 36
投稿日 2001年2月1日(木)23時41分 投稿者 佐藤信哉 削除
昨日は、北海道から帰って来たのが、夜の11時半ぐらいだったか。
羽田に着くと、日航機のニアミスでまだ取材陣が大勢残っていて、けっこうな騒ぎだった。
すごいね。スッチーひとり、天井突き破ってブラ下がっていたんだってな。
やっぱり、どんなに緩めてもいいからシートベルトだけは常にしておいたほうが良さそうだ。
それで、すぐにメッセージを書き込もうと思ったのだけど、
なぜか机の前に座ったら、行く前に半分仕上げていた「チャリンコで出かけた」
の後半部分を、オレはそのまま書きはじめてしまった。
寝たのは3時ぐらいか。
それで、気が付いたら、夜の10時だ。
つまり、20時間意識を失っていたのだった。まあ、よくある話しなのだが。
一昨日の話しから書いていこう。
千歳空港のロビーを出ると、OSCの人間に加え、意外な人物が待っていた。
目のパッチリとした、スラリとしたポニーテールの美人だ。
なんと、北九州に住んでいるハズの、900Rに乗る「忍者姫」こと、綾ちゃんだ。
「なんで、おまえがこんなとこ居るんだ? 」
「ウフフ、ちょっとね、遊びに来たんだ」
聞けば岡山でやったSDのときに知り合った人間がいて、昨日来たのだという。
近所をしばらくブラついてから遅い昼飯を食った後、
オレは予約されてたホテルで、とりあえず、一度ぶっ倒れた。
昨日の午後2時、つまり月曜日の昼過ぎからずっと起き続けていたので、
このときは、32時間も寝ていなかったのだ。まあ、よくある話しなのだが。
飛行機の中で眠ろうとしたのだが、そんなことはやはり、できるわけがない。
「おお、動きだしだぞ!! 」
「おお、加速した加速した!! 」
「うおおっ、浮き上がったぞ!! 」
「おお、やっぱ関東平野はちゃんと平たいぞ!! 」
「利根川だ、栃木だ、うおっ、もう福島だあ!! 」
何度乗っても、これをやってしまうのだ。
「まだ、人間歩いているの見えるぞ!! 」
「まだ、クルマ走っているのが分かるぞ!! 」
だからなんなんだ。
しかしこれが楽しくて仕方がないのだから、仕方がない。
まるっきり、そこらのガキといっしょである。
トップページの、あの写真を見て、大いにイメージを崩してもらいたい。
まあ、そんな自分が、自分でも好きなのだがな。
とにかく、少しでも寝ないと、とても体が持たないと、オレはまずホテルで寝た。
しかし、5時半ぐらいの話しだったので、1時間半だ。
7時から、サッポロビール園での会食の予定だったのである。
顔を腫らして得意の目ヤニを付けたオレは、タオルでササッとそれを誤魔化すと、
迎えのクルマに乗り込んだ。
羽田のロビーの現地情報では、マイナス16度と表示されていた。
( げえっ、ふつうで冷凍庫の中か!! )
しかし、実際着いたらマイナス3度かそこらだったので、これなら川崎人にも
充分に耐えられるとオレは喜んだ。
ビール園に着くと、近所のバイクショップの連中や、地元・・・というより
北海道のバイク雑誌である「バイクマン」の編集部の人間が、出迎えてくれていた。
そこで9時まで飲んで食って歓談したオレたちは、いよいよ本日のメイン会場である
すすきのにある「イアーズ・バー」へと繰り出した。
店に着いた。
誰かが開けたドアの隙間からチラリと中を覗いてみると、
中はスーツ等を着た一般客で、ごった返していた。
( いや、これじゃあ騒いだら迷惑かけてしまうな・・・ )
そう思いながら中へ足を踏み入れると、どうも様子がおかしい。
「うわあ、うわあ!! ヘイヘイ、ヒュッユ〜!! 」
なんと、驚いたことに、そこにいた全員が、仲間だったのである!!
店外に溢れて・・・というか、たむろし、酒を飲んでいる連中までいた。
オレは他店の客だとばかり思っていたのだが、それは中に入り切れなかった連中なのだった。
「よおし!! ンじゃあまず、乾杯と行くか!! 」
歓声が上がり、宴が始まった。
と、思いきや、カウンターの中からひとりの男が飛び出して来た。
手伝いに来てくれた男である。
「シンヤさん、どうも!! よく来てくれましたね!! 」
「おおよ、来たぜ、サッポロ!! 」
「あの、ぼく、いまちょっと一曲歌いますから、ちょっとスーツに着替えて来ます!! 」
( スーツ? なにもわざわざスーツに着替えなくてもいいのに・・・)
オレはそこまでしてくれる気づかいにすっかり嬉しくなっていた。
男が消えた。
しばらくすると、ドアのほうからどよめきが沸き上がった。
なにごとぞ、と目をやると、完全にスッポンポンになった、フルチンの男が立っていた。
男はなにやら喚きながらマイクを取ると、ごった返す客の中、
辛うじて僅か畳み1枚分ほど開けられたスペースの中に躍り出て、歌い始めた。
チンコ、丸出し。
そのチンコが、プラプラ、プラプラと揺れる。
店内は、騒然となった。
つづく
隠れ家もろ直・信哉便 37
投稿日 2001年2月2日(金)00時44分 投稿者 佐藤信哉 削除
プルプルチンチン君の続きだ。
女の子たちは、目のやり場に困ってしまい、両手で顔を覆っているのだが、
そんなことにはお構いなしに、フルチンのステージは続く。
いや、女の子だけではない。
スーツ姿の男も、ラフなかっこの男も、直視できないのは同じらしい。
なにしろ、自分の顔から50センチぐらいしか離れていないところで、イチモツが揺れているのだ。
あまり、気色のいいものではない。
ましてや、その男は次第に興奮して体を振り動かすものだから、
いつチンボコの先端、生皮の部分を自分の服に擦り付けられるか分からないという恐怖がある。
だが、それらの連中のおかげで自分は安全圏にいる、第2列目以降の人間たちは、
もう大騒ぎも大騒ぎ、やんやの喝采だ。
その中のひとりである、オレも安心して声援を送った。
振ってもらうともっとおもしろい。
立ち上がって喚いた。
「振れー、触れぇぇ〜!! 」
男は目を剥いてニッコニコ顔になると、さらにでかい声でがなり立て始めた。
フレー、フレー!! という解釈をしているのが周りのみんなには分かって、
大爆笑が加わった。
意図を悟った男は、ピョンピョンと飛び跳ね始めた。
そのたびにチンポコがみなさんに向けて挨拶をする。
誰も、歌など聞いてない。
どうチンボコが揺れるか。それだけである。
いつ歌が終わったのかよく分からないほどの大歓声の中、
男はスタタタタァ!! と表へと走り去って行った。
たちまち数名の男たちが弁解した。
「シ、シンヤさん、これ北海道と思わないでくださいね、札幌と思わないでくださいね!! 」
「あのね、言っておきますけどね、こっちの人間、誰でもああやって
出すわけじゃあ、ないですからね!! 」
「い、いきなり、隠し玉が登場しちゃいましたねえ。
最後のワザを、いきなり使いましたねえ!! 」
みな呆れ笑いをしながら語る、語る。
「あははははは!! だめだ。いくらなんと言おうが、このイメージは強烈だ!!
札幌の人間は、とりあえずチンボコを振り回して、歓迎する。
もうそうインプットされた。あははははは!! 」
「かか、勘弁してくださいよう、ぼくらだって、
こんなの初めてで驚いているんですからあ!! 」
みんなサラリーマン。翌日仕事だというのに、しかし、
12時を過ぎても、1時を過ぎても、誰も帰ろうとはしない。
ほとんどの人間は、この店で今日初めて知り合った、という連中ばかりだ。
あちこちでバイク談義に華が咲き、名刺を交換し、あるいは連絡先を教えあい、
再開しようと目を輝かせている。
オレはこのことだけでも、ああ、わざわざ来た甲斐があったぞと、嬉しくなっていた。
結局、5時まで飲んでいた。
セッティングをしてくれたOSCのメンバー、イヤーズ・バーのマスター、
そして集まった仲間たちすべてに、オレは感謝する。
人生、楽しい日は、1日でも多いほうがいいものな。
・・・でも、翌日というか、その日の「SD開催用地の視察」は、
ちょっと辛いものがあったけどな、ははははははははははははははははははははは!!!!
さてと。それで、帰ってきたら、こんなメールが届いていた。
YSP横浜南の社長からのものだった。
「二階堂君のエアロックス100が盗まれてしまいました。!
> 盗難日時は1月27日(土)、鶴見駅の近くで朝7時から夕方4時位の間です。
>特徴としては…(添付ファイルも有ります)
> 走行350キロ前後、前後左右にYSPステッカーが貼ってあり、
> 更にフロントフォークアウターチューブ左右に赤いブレンボの
> ステッカーが貼ってあります。
> ナンバーはピンク枠で 南区 あ 4572 です。
> 皆様、お見かけ次第最寄の警察と二階堂に連絡願います。
> 尚、乗っていた人相、走って行った方向等を合わせてお願い致します。
> 二階堂の連絡先
> 090−9304−7155
> 以上宜しくお願い致します。」
心当たりのある人は、連絡をしてやってくれ。
こういう、「とりあえずオレ宛に送りたい」というメールのアドレスや、
このような盗難情報に対する対処方法も、いろいろと検討している。
やることは、山のようにある。
オレ、頑張るからね。
(札幌でいっしょに飲んだ仲間からの書き込みに対して)
隠れ家もろ直・信哉便 38
投稿日 2001年2月3日(土)01時44分 投稿者 佐藤信哉 削除
やあ、吉見兄弟君!!
あのときは楽しかったね!!
私なんか、帰るまで酒臭かったよ。
さっそくだが、私の率直な意見を述べよう。
はい。
「チンチンは、大変珍しいものだと思います」
その理由はね、私の家のほうでは、他人のチンチンは、
トイレで隣に並んだときにチラッと見るか、
もしくは風呂屋等の公衆的な、そして裸になる正当な理由が
あるところでしか、ふつうは見られないものだからなのだよ。
ところが!! なんと!!
そっちじゃあ、珍しくないと!!
「チンチンは素晴らしいもの」
なのであるからして、
「みんなで出してやろうじゃないか!! 」
と、そういうことなんだね?
と、いうことは、できることなら、
「ふだんから出して歩きたい」
「願わくば、そのまま仕事もしたい!! 」
と、いうことなんだろうね。
うーん。私にはよく分かりませんが、これはすごい。
川崎人にとっては、驚異以外のなにものでもない光景に写る。
そっちって、とてつもなく寒いでしょ?
余計な心配かもしれないけど、君たちのチンチン、しばれないのだろうか。
縮みまくって、芋虫みたくなってしまわないのだろうか?
それはいいとして、凍傷とかにはならないのだろうか?
日常的に勃起状態にさせて、対策したりしてるのだろうか。
すると、寝ているとき以外は、年中おっ立たせているのだろうか。
だとしたら、それ専用に余裕を持って作られた、専用の
パンツやパジャマ等があるのだろうか。
出し続けていてもチャック等が干渉しないような、専用デザインの
スーツとかがあるのだろうか。
「紳士服の○×、今年流行の新型もろ出しスラックス激安価格で発売中 !! 」
とかやっているのだろうか。
いるんだろうな、需要があるんだから。
すごい土地だ!!
これをすごい土地だと言わずして、何をそう言おうぞ!!
なんだか、砂抜きをしている貝のような街ではないか。
すごいぞ札幌!!
頑張れ道民!!
日本全国あちこち行ったつもりになっていたけど、
どうやら私はあなたの住む街については、うわべだけをチラッと見て
なにかこう、知ったような気分になっていたらしい。
なんだか私は、次に行くのがとても楽しみになって来たよ。
はーははははははははははははははははははははははははははははは!!!!
隠れ家もろ直送・信哉便 39
投稿日 2001年2月3日(土)02時08分 投稿者 佐藤信哉 削除
あのな、あのな。
スティード奪還記って、あれはほんとにおもしろいぞ。
話しがな、2転も3転も4転も5転もするんだ。
えっ、これで終わったんじゃないの? というところから、
また問題が持ち上がって来てしまう。
最後にゃあ警察乗り込んで、直談判をしたというか・・・
まあ、楽しみにせよ。けっこう、長い連載となるぞ!!
(SDが開催されると思い込んだ書き方をした、札幌からの書き込みに対して)
隠れ家もろ直送・信哉便 40
投稿日 2001年2月3日(土)16時06分 投稿者 佐藤信哉 削除
ちょ、ちょ、ちょっと待て!!
「まずいっすよ〜! 」てあなた、確か高校の先生だったね、あのね、
まだSDは「やる」と決まったわけじゃないんだからね?
まだ、「できそうな場所があるというので、視察をした」
というだけの話しなんだからね?
これからが、大変なんだよ。
向こうが、「うちはそんなことやってもメリットがありませんから」
とか言ったら、ああそうですかと、それっきりの話しなんだから。
だから、過剰に期待しないでね。
「てぃんこ」
おもしろい表現だよなあ。
そういえば、あなたのHPも見させてもらったけど、おもしろいね。
自分でも言ってたけど、どこかオレと共通するものがあるようだね。
ここにももっと書き込んでね。
自分の日常を書いたらおもしろいとおもうんだけどね。
ね、ばっかだね。今回の書き方は。
その下の人は「あの」編集局長の「あの」近藤健二さんだね。
「恐縮です」なんて芸能レポーターみたいなこと言うのやめろよ。
「こんなこと書いても誰も読まないだろうな〜」なんて
見え透いたこと言うのやめろよ。
このHPに来て、ここ読まねぇ奴なんて絶対に居るわけねぇっての、
知ってるくせに、この!!
そう言えばさあ、カニって、北海道から船橋まで歩いて来たら、
どれくらい時間掛かるんだろうな。
海岸線沿いによいしょ、よいしょって横這いして来たら、
何年ぐらいかかるんだろ。
年単位だよな、ぜってー。
伊能忠敬さんの比ではない、究極の「沿岸地形沿い」歩きを
しなければならないわけだから、とてつもない距離になるんだろうな。
生まれた直後から船橋目指して歩き続けても、遥か手前で寿命が尽きて、
死んでしまうのだろうな。
西村寿行の小説で、カニが山奥から海を目指して旅をするって話しが
あったけど、その比じゃないよなこれは。
そんで・・・よしんば辿り着いたとしても、ミチヨに熱湯浸けるにされて、
ボキボキと体へし折られて、バリバリと食われてしまうんだろ。
たまったもんじゃねぇよな。
さて。オレはこれから横浜のベイサイドホールまで、ちょっと出かけて来る。
友だちが、ライブやるんだ。
続きは帰って来てからまた書くとしよう。