大 井 川 遡 上

『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』と
の句で有名な、大井川。
この川沿いには、全国でも珍しいSLの路線が通ってい
ることでも知られている。
今回は、この大井川沿いにツーリングをしたときのお話
だあ!

 

         第1話

 行き掛けに、焼津の港に立ち寄り、朝飯を食うことに
決めていた。
 焼津港と言えばマグロだ。
 水揚げ量は日本一どころか、世界有数を誇る。
 その漁港の中に、ヤイヅツナコープという廉売所があ
る。
『そこの2階にある、魚市場食堂というところが穴場で
市場関係者ご用達の食堂。しかも、朝の5時半からやっ
ている』
 という情報を、オレは事前に仕入れていた。

 刺し身の類いに目の無いオレとマユミは、まだ暗いう
ちから川崎を出発し、それっとばかりに駆けつけた。
 ・・・・・・・・ら、これが、やってない。
 張り紙がしてあった。

『朝食はやめてしまいました』

「なんだよぅ、朝食に刺し身定食が食べられるというか
ら、私はお腹を空かせ切らせてさぁ、すごい楽しみにし
ていたのに・・・・」
 首からぶら下げたカメラの重さが、急に、十倍にでも
なったかのように、マユミが体をくの字に曲げて、しょ
ぼくれた声を出した。
「・・・・今年版の情報誌にさあ、そう、書いてあった
んだもんよ・・・・」

 参ったなこりゃと、でかいマグロがそこかしこに並べ
られている市場を、当てもなくうろついた。
 写真を撮ろうとマグロに近寄ったマユミが、うわあっ
と大きな声を上げて、エビのように身を引いた。

 よく見ると、どれもみな、すっさまじいばかりの形相
をしているのだった。  カチカチで、ツルツルの顔。
 半開きになり、歯を剥き出した口。
 そして、パックリと開いた、白目。

「こ、怖いよぉこれ・・・・」
「すげえな、こりゃあ。『無念』という字の、象形文字
の原型って、この顔が、なにか関係しているかもしれな
いな!」
「お・の・れ・らぁ〜。末代まで、呪い殺して、くれる
ぞぉ〜・・・・て感じだよね、これは」

 末端の消費者は、その現場を、知らないだけなのだ。
「食い物なんておめ、みんなそうだよ、生き物なら。ほ
とんどの人は、現場を知らないというだけでさ。牛なん
ておめ、屠殺する現場なんておめ、スゲェーんだぞ」
「いいよ、言わなくても」
「前にな、一度・・・・」
「いいってば、言わなくても!」

 それにしても、すごい顔をしている。
 よく、やっても何の反応も示さない女のことを、マグ
ロ状態と言うが、これだったらそれ以前に、男のほうが
縮むわシボむわ丈詰めるわで、どうにもならないだろう
と考えた。

 だが、そんな顔を見ようがどうしようが、大好物の刺
し身定食のことが頭にこびりついているオレたちは、腹
グーグーを鳴らしながら、他に店が開いてないかと近所
を徘徊した。
 時刻は9時。
 まだ早すぎて、ふつうの店すらどこも開いてない。
 お巡りさんにでも聞いてみるかと、交番を探して立ち
寄った。
 すると、朗報を得た。
 ひとつ隣の小川漁港の中の、魚河岸食堂というところ
が確かやっているはずだ、と親切に教えてくれたのであ
る。

 さっそく駆けつけた。
 有り難いことに、店はやっていた。
 缶ビールを並べ、顔を真っ赤にした数名の漁師らしき
人達が、でっかい声を張り上げて小宴会を開いていた。
 それを横目に、解凍丸出しシャリシャリと氷りの歯ざ
わりがする・・・・が、とにかく念願の刺し身定食にあ
りついたオレたちは、やっと人心地つくのだった。

 海沿いに走り、大井川まで出た。
 そこから川に沿って遡上し始めた。
 何本か橋を通過すると、やがて行く手に蚊トンボのよ
うな細い貧弱な橋脚が見え始めた。

 蓬莱橋(ほうらいばし)である。

 橋のたもとには、番屋と、クルマ数台分程のスペース
の駐車場があった。
 バイクを止めて一服した。
 木造の、いまにも壊れそうな橋が広大な河川敷を横切
り、対岸に向かって延々と延びている。

「チントリ橋だってよ」
「えっ? チントリ? なにそれ」
「黙って渡ると、カッパに尻後玉をひっこ抜かれて、オ
カマにされちまうという、言い伝えでもあるんだろう。
知ってっか、尻後玉って」
「シリゴダマ? なにそれ・・・・・・あっなんだ、賃
取り橋じゃん」
 有料橋である。
 老朽化しているためクルマの通行は不可だが、バイク
なら原付50円。
 それ以上は、70円払えば、渡らせてもらえる。
 自転車だと30円。
 徒歩なら大人20円・子供10円だ。

「あっすごい、この橋は木造橋としては世界最長で、ギ
ネスブックにも乗っているんだって! うわっ900m
もあるんだあ・・・・!」
「へえー、そいつはオレも知らなかった。どれどれ・・
・・97年の、12月に認定ってか。〇〇社と〇〇社で
出している静岡の情報誌2000年版のどっちにも、そ
んなこと書いてなかったぞ。
 てことは、何食わぬ顔をして2年ぐらい前の記事の使
い回しをしたのかな。
 知ってりゃあ得意になって書くに決まってるからな」
「わかんないけどさ。でもさっきの焼津の食堂の件もあ
るからなあ。ガッカリしたよ、あたしゃあ。
 なんで焼津まで来てシャーベット食べなきゃなんない
んだっつーの」

 番小屋の中にはじいさんがいた。
 料金を払おうとすると、いまは板が痛んでいるので、
バイクで渡るのは遠慮してくれという。
 アチャ〜という顔をするオレに、じいさんは言った。
「どっから来たんだい」
 言うたびに誇りに思う、我が街の名を口にした。
「川崎です」
「ほう、そうかあ。写真撮るのかね。だったらねえ、い
いよ、そのへんで、ちゃっちゃっと、撮ってしまいなさ
いよ。うん、向こうまで行かれてしまうと、困るけど。
わははは!」
 そいつは有り難いと喜んだ。

「うん。お金もね、渡らないんだから50円でいいよ」
 小屋から出て来たじいさんは、いろいろなことを教え
てくれた。

           つづく