『箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川』と
いう有名な句がある。
富士川と並び『暴れ川』として名を覇せていたこの大
井川は、長い間橋を掛けることが禁じられていた。
急流であるということが、いちおうは表向きの理由で
あったが、ここを天然の関所とし、江戸を守るためだと
いわれている。
ここを昔は『川札』というのを買い、人足の肩や輦台
という板に乗せてもらって渡っていたらしい。
しかしそれも水深四尺五寸・・・・というから約1・
36mを越えると、渡河禁止となり不能。
それは頻繁に起こり、最長では明治一年夏に、28日
間という記録が残されている。
船による渡しが許可されたのは、明治3年からのこと
で、橋が掛けられたのが同11年。
現在のものは、構造は昔のまま、昭和40年に掛け替
えられたものであるというから、まあ、それなりに安全
なものなのだろう。
「下流に、新しい橋が掛けられたときに、ほんとは取り
壊される予定だったんだけどね、そういう歴史のあるも
のだから、なんとか残そうということになってね」
感慨深そうな表情を見せながら、じいさんは話を続け
た。
「ギネスブックにも載ったしね。でもね、予算がないか
ら、修理もなかなか大変でねえ。
そうだなあ・・・・バイクがちゃんと渡れるようにな
るのは、もう三月ほど先のことになるかなあ」
歪んでいるわ、床木が浮いてギシギシいうわ、手摺り
は低いわで、これがけっこう、怖い。
恐る恐るバイクを走らせると、クギの緩んだ床板は、
油の切れたキャタピラのような音を発てる。
それにしても、広い河川敷である。
「何個ぐらいあるのかな、ここの石。何兆個、とかって
いう単位かな」
「どのくらいの大きさから、石っていうの?」
「人に投げ付けたら、ただじゃ済まないぐらいの大きさ
のやつだ」
「う〜ん・・・・。想像もつかないよねえ。1兆個って
言われれば、ああ、そうなんだと思うし、10兆個だっ
て言われても、へえ、そうなんだって思うし」
「宇宙人でも勘定できないだろうな。無理だろうな。
でも、中国の人とかだったら、人海戦術で数えちゃう
かも分からないな。
なにしろ、万里の長城を作ったぐらいだからな。
あんなもの作ったぐらいだから、ここの石も数えられ
ちゃうかもな」
こういう平たいところほど、ヤバイ。
増水して、本来の川筋から、水がちょっとでも河原に
溢れて来ようものなら、その水は、たちまち水平方向に
移動し、驚くほどの早さで川幅を広げてしまうからだ。
すると、仮に、「実はまだ水深10cm」程度でしかな
かろうとも、もうどこが深いのやらなにやら、まったく
判別できない状態となり、身動きができなくなる→更に
増水する・・・・という最悪の状態になる。
丹沢の玄倉で起こった惨劇は、この典型的な例と言え
よう。
さらに川沿いに走ってから、国道で橋を渡り、金谷の
駅に向かった。
ここから、大井川に沿って千頭までの、約40Kmの間
を、SLが走っている。
煙りモクモクの、汽車である。
鉄道自体は、千頭から更に約26Km先の、井川まで延
びている。
しかしその区間は1000分の90、つまり道路でい
うところの9%勾配という、鉄道としては日本一の急勾
配を持つため、SLから、歯車を噛み合わせてよじ登っ
て行く、アプト方式のミニ列車に切り変わる。
この路線は、もともとは井川ダム建設の際に中部電力
が施設した路線を、昭和34年のダム完成後に、大井川
鉄道が営業路線として、引き継いだものなのだという。
そのため、線路の幅自体は普通サイズだが、車体は、
オモチャのように、ちっこい。
今回の旅は、この汽車と、ミニ列車を見るのがひとつ
の目的ともなっていた。
特に、汽車だ。
オレがガキの頃は、まだ近所には汽車が走っていた。
「おいシン坊。汽車、見に行くか」
「うわあ、行く、行く!」
じいさまにチャリンコで連れられて、鉄橋の上で待ち
構える。
やがて向こうのほうから、モクモクと煙りを吹き上げ
ながら、汽車がやって来る。
立っている陸橋の下を通過するときに、興奮は頂点に
達する。
ワイワイ言いながら、真っ黒な煙りを浴びるのがオレ
は大好きだった。
煤だらけになるわけだから、そのたびにじいさま共々
母親に叱られたものだが・・・・。
SLの出発までは、まだ小1時間ばかりあったので、
駅前にあった、大井川資料館というところへと、オレた
ちは入ってみた。
中には、展示用のSLとミニ列車の他に、当時の川渡
しに使われていた、様々な道具やそのときの様子がセッ
トで組まれて、展示されていた。
入口に、等身大の人足人形がデンと突っ立っていた。
「おう兄ちゃん、乗るのかよう乗らねぇのかよう!」
「 ねえちゃん、今日はきんたま濡れるからよう、代金は
たっぷりと払って貰うぜ、がはははは!」
「なんなら、体で払ってもらってもいいんだぜ、がはは
はははは!」
すぐに、人足になりきってマネをした。
マユミはスタタタッと逃げ出した。
「なあ、でもさ、どう見ても、『あっ、いらっしゃいませ
お客さん!』て顔は、してねぇよな。なんか、網走刑
務所のセットを思い出したぜオレは」
また、なりきってなにか喚かれるかと、マユミは人目
を気にしてキョロキョロした。
「おい、値段が出てるぞ」
川札の値段は、その日の水量によって変わり、
股通(股の下ぐらい)で四十八文。
帯下通(ちんぽ水没ぐらい)で五十二文。
帯上通(へそ水没ぐらい)六十八文。
脇通(ビーチクの下ぐらい)で七十八文。
乳通(ビーチク水没)まで来ると九十四文。
と、書かれていた。
股通から帯下通ぐらいまでであれば、自分で渡ってし
まう人も多かったらしく、そのため実際の価格は、およ
そ六十文〜九十四文、現在の価格に換算すると900円
〜1500円ぐらいと、なっていたらしい。
ただし、それは肩車された場合のことであり、4人で
担ぐことになる輦台に乗ると、まんま、その4倍の料金
となる。
「女の場合は、ま〜ず、少しぐらい無理しても台に乗っ
たんだろうな。江戸時代の女は、男の首筋に、あそこグ
リグリ、なんて恥ずかしいことは、絶対できなかったろ
うからな。今は、毛なんか、平気で見せちゃう女も多い
けど」
マユミも無言で頷いた、キョロキョロしながら。
「でも、肩車して、よくこんなところを、渡れたものだ
な。下は石でグリグリ、苔だって生えてんだぜ!」
オレは想像した。
「けっこうな割合ですっ転んで、お客さん流してたんだ
ろうな。うわっ悪ィ、御免なすってえ!・・・・で済ま
していたのかなあ」
肩車をした状態でズッコケて、客が頭から流れに突っ
込み、えれえ目に会っているところを想像し、ひとりで
笑った。
お客さんは、町民じゃだめだ。肩車賃しか払えない、
落ちぶれた侍だ。そのほうがおもしろい。
深い場合なら、転んだ際には、足を持たれているゆえ
に、顔だけが流れに浸かって、拷問のように水を飲まさ
れてもらいたい。
浅ければ浅いで、川底の石に額をぶつけてタンコブを
作るか、できればそのまま気絶して、溺れそうになって
もらいたい。
それで、とどのつまり、激怒してもらいたい。
(やろう、てめえ!)
怒り狂った侍、大暴れを始める。
(まま、待ってくだせえ! 足が滑ったんでさあ!)
(やかましいわ! てめえら、まとめて、ぶった切って
くれようぞ!)
クモの子を散らしたように逃げる人足たち。
肩を怒らせ、流れの中に立ち、頭から湯気を立ちのぼ
らせている侍。
人足連中を追いかけようとするが、片足を踏み出すた
びに急流に流され、軸足を中心にして、コンパスのよう
に半回転し続けるだけで、いつまで経っても岸に辿り着
けない侍。
背中が見えて、正面が見えて、また背中が見えて・・
・・
「なにひとりで笑ってんの?」
「いやべつに。ちょっとね、むかし、北海道で吊り橋か
ら川の中に落ちたときのことを、思い出してね。」
流れが 早いと、クルクル回るんだこれが・・・・
つづく