我が弟へ−惑えぬ兄より


彼が就職のために上京したのが20年前。その後、数ヶ月で退社。
役所に転居届を出していたが、上京先で転入届をしなかった為、以後住所不定に。

パチンコ屋、遊技施設など住みこみの職を点々とし
その日暮しとまではいかないまでも、のんべんだらり、と。
フリーターと言えば、聞こえはいい。
世の中が「やさしい」のを良い事に、悠々自適に過ごしてきた。

不況という言葉がすっかり、普通になってしまった今、折り悪く。
自堕落な生活からか、年齢的なものか、原因はひとつではあるまい。
不幸にも身体を壊して3ヶ月の入院生活、同時に失業。
男一匹どーにでもなると、鼻息が荒かったのはいつの話しだったか。

恥ずかしながら、彼とは私の弟。
昨年5月以来無職、11月から家に居候中だ。

この弟と20年間、音信不通という訳ではなかった。
山梨に実家があった頃には、家に出入りしていたようだし、
私が都内に住み祖母と同居していたころにも、ときどき顔は見せていた。
もっとも、祖母に会いに来ていたのが金の無心のためだったということは、
私がかなり後から知ったことである。

いくかの職を転々とし、二十歳過ぎくらいの頃だろうか。
借家の家賃を踏み倒し、家財(布団とガラクタ)を残して夜逃げしたことがあった。
そのときは、勝手に私を保証人にして住んでいたから、当然私が後始末をした。
大家に「ご苦労様です。これを・・・。」と、敷金の残金数千円を渡されたときは
思わず苦笑してしまった。

平成三年に祖母が他界してからも、私の所へは来ていた。
「私の所」というからには他の所もある。山梨の父のトコロである。
弟と、父とは折り合いが悪い。
この父も相当なタマで、とても「お話し」にならないのだが。
要は、弟と父とは「良く似ている」のだ、ソウいうことである。
弟と父とは、祖母の葬儀に顔を合わせただけで、おそらく「それっきり」のままだ。

葬儀で思い出した。
祖母が亡くなった日、仮通夜の晩に弟が電話してきたのには驚いた。
虫が知らせたのか、例によって懐具合が寂しかったのかどうか。
葬儀には間に合ったが、最後のお小遣いは貰えずじまいだった。
祖母は、弟にとっては母そのものであったわけで、
その死は、少なからず弟に影響を与えたハズ、なのだが。
何を考えたのか、思ったのか、彼の生き方にコレといった変化はなかった。

その後は折りあるごとに私の所に来る。折りある毎にである。
すってんてんなら可愛いが、その程度なら家には来ない。
首が回らなくなると来るのだから、何がしかの負債を負って参上するのである。
弟が黙っていても、遊びに来た数日後には電話が来る。
弟に金を貸したヒトからである。まぁ寸借が殆どなのだが。

2年前にはオンナを連れて転がり込んだ。2週間の長逗留だった。
なんでもパチンコ屋に夫婦者扱いで住みこんでいたら、オンナが
従業員仲間とケンカ?をして、一緒にクビになったとか言っていた。
まったく大したオンナで、次の職が見つかって家から出るときに、
私にはともかくウチのカミサンに対しても、ついに一言の礼もなかった。
その点では、さすがに私も呆れている。
ああ、そのオンナが持病で入院したことも3年ほど前にあった。
そのときにも、弟からは相談をされたのだが・・・
結局、オンナの御家族が後始末することで決着していたのだった。
イツかは聞いてもいないが、そのオンナとは切れているようだ。

そんなこんなで、とうとうホームレスにまでなった。私の弟だ。
全く働かないわけではないが、イイ職が見つからない。
とりあえずアルバイトのキャンセル待ち、だそうだ。
暮れに働いても、食い扶持も出さなかった。
問い詰めると、やっぱり借金を抱えていた。(カミサンには内緒である。)
私の正月が、やや寂しかったのは彼の精進の賜物である。

失業率5.5%だか、どうだかは知らない!
なんとか彼にも、マトモに働いてもらいたいのが、私の望みである。
殆ど期待していないが、立て替えたモノも返ると嬉しい。それは私の
ささやかな望みだ。

それにしても、ウチのカミサンは偉い。
こんなフーテンのパンツまで洗ってやっている。
ああ、カミサンで良かった。
手放しで喜んでいるのは、私の一人息子だけである。遊び相手としては絶好だ。
子供にとって、家族は多いにこしたことはない。
ひとつ屋根の下でも、決定的に困る状況ではないのが、私には救いだ。

なあ、お前!
40歳近くになって、手に職なし!
元手もなし!
住むところも、なし!
ヤル気はあるのか!?
私が今失業したとしても、考え込むような世情だ。
お前がが考え込んだって、どうなるものでもなさそうなんだが。

おい!俺はいいけど。お前これから、どうやって生きていくつもりだ!!