SUZUKI GSX1100S KATANA Final Edition
ミュージシャンの連中と飲んでいると
たまに「ビートルズ」とはなんだったのか、
というような話になることがある。
そのメンツがバイク好きの連中であれば、
オレはいつもこう述べている。
「ありゃあ、CB750みてぇなもんだよ」
それは前例がまったくないまさに 画期的なものである・・・
という意味での、オレなりの表現である。
オーバーヘッドカムシャフト機構を持つ並列4気筒のエンジン。
750ccというスバ抜けた大排気量。
四輪車でもごく少数のモデルしか採用されていなかった
ディスクブレーキ・・・。
それは
「自分たちで曲を作り自分たちで詩を書き、
自分たちで演奏しながら歌う」という前例のないやり方や、
当時の世間を仰天させたあの長髪スタイルにも
匹敵するものだとオレは感じている。
それほどオレにとってCB750は
エポックメーキング的なオートバイであった。
無論、マッハ。やDT1にしたところで
同様のことは言えるであろう。
がしかし、それはあくまでも『同様』の話であり、
ここまで強烈な衝撃をオートバイ乗りの世界には
与えていないということは、
ある種歴史がそれを証明しているのではないかと思っている。
だが・・・ある日、オレにとってそれに負けないぐらい、
とんでもないバイクが出現した。
GSX1100S・カタナ。
(なんてかっこうを してやがるんだ!
オートバイってのは、こんなカタチにもなるんだ!)
それまでのオートバイのデザインを根底から
覆してしまうようなそのバイクは、
性能のほうもすさまじいばかりであった。
それは排気量からしてとてつもなかった。
750ccが我が物顔で暴れまわり、
900ccのZ1が憧憬の眼差しで見られていた時代に
1100ccのエンジンを搭載し、
111馬力という桁外れのスペックをひっ下げて登場した。
いつかVmaxのことを語るときにも、
ほぼこれと同様の記述をするであろうということを、
いまここで書いておこう。
なぜならば、CB750の登場以後〜現在に至るまでの間で、
そう表現しても差し障りはないと言い切れるほどのオートバイは
この2台しか存在しえないとオレは思っているからだ。
実際、このカタナというバイクは、
この世の物とは思えぬような超絶的な動力性能を有していた。
例えばナナハンに挑まれる。
お互いトップギアーの5速に入れてのクルージング。
敵は『2発ギアーを落として』3速に入れフルスロットルをくれる。
だがこっちはそのまま・・・
5速ホールドのままアクセルを開けても、
まだ3速全開のナナハンより速いのだ!
その圧倒的な性能を称して、
専門家の間でも当時、こんなことが言われていた。
「限りなく人間のコントロールできる限界の性能に近付いている」
無論これがまったくの誤りであるということは現実が証明している。
ちなみにパワーの面だけで言うならば、
オレがいままで体験した最高馬力は5.7PのシボレーV8を積んだ、
あのボスホスの345馬力である。
そして全開にして思った。
(もしこれが 本当に345馬力なのであれば、
オレは500馬力ぐらいまでならなんとか我慢することができそうだ)
と・・・。
我慢するとは要するに、そのぐらいの加速力まで
なんとか耐えられそうだ、という意味である。
オレはふつうのバイク乗りに対して、
確かにふつうではない立場にいる人間かもしれない。
しかし決して『特殊』な人間ではないのだ。
つまりオレにできることなら、
少なくともベテランと呼ばれるライダーであれば、
たいがいの人間にもできるということなのだ。
かようにして、人間の適応性というのは
想像を絶するものがあるので、
数字上での絶対的な馬力や速さは、
この際無視しておいてもらいたい。
いまは「その頃」の話を書いているのだから・・・。
とにかく、そんなこんなを知ったオレは、
このとんでもないデザインと性能を持ったバイクが
欲しくて欲しくてたまらなくなり、
長期のローンを組んでまでかねを工面する決意をし、
そこら中のバイク屋をあたってみた。
だが、どこに聞いても手に入らないという。
ガックリ来たオレは最後に、
ひとづてに紹介してもらった
とあるバイクショップに電話を入れた。
「分かった。一週間、待て」
狂喜したオレは毎日まいにち乗り回している自分を想像し、
架空のツーリングをし、他のバイクとバトルして
ぶっ千切っている夢を見ながら眠りについていた。
一週間が過ぎ二週間が過ぎた。
一カ月が過ぎ二カ月が過ぎた。
そして三カ月が過ぎ、半年が過ぎ・・・。
それでも結局カタナはオレの手元にはやってこなかった。
オレは購入するのを諦めた。
「よう、カタナのナナハンが来たんだけど、
ちょっと乗って感想を聞かせてくれないか?」
そんな電話が夜中にミスターバイクから掛かって来たのは、
それからどのくらい経ったときだったか。
駆けつけたオレは、とって付けたような
かっこ悪いアップハンドルにガッカリしたが、
当時の編集長大竹オサムの
「ナナハンだけどさ、もうこれで十分に速いぜ。
これだけ速けりゃあ1100なんかいらねぇって感じだよ」
という言葉にワクワクしながら首都高へと向かった。
初めて全開にしたのは白金の料金所を出るときだった。
料金所のおじさんの目を意識し、ちょっと多めにアクセルを
吹かしてクラッチを繋いだら予想以上の加速に見舞われ、
ついでにフロントが持ち上がって振り落とされそうになった。
(うわっ確かにパワフルだこりゃあ!
750でこれなら1100ってのはどんな加速をするのだろう!)
そう思って、またカタナが欲しくなってしまった。
しかしそれはついに実現することはなかった。
なぜなら・・・それからしばらくしてから、
オレはVmax というこれまた途方もないほどに
とんでもないバイクの存在を知ることとなったからである。
オレとカタナとの縁はここで切れたが、
カタナの存在自体はずっと心の奥に引っ掛かっていた。
憧れ続けていた1100カタナにもやがて乗るチャンスは訪れた。
その頃には、カタナを上回る大加速をするバイクに
たくさん乗っていた。
大パワーバイクの行き着く先。
それはとどのつまり
『レーサーレプリカタイプ』と分類されるものの中に
あるといっていいだろう。
ハヤブサしかり、新型の12Rしかり。
だが、それらはオレの心の奥底には引 っ掛かって来ない。
「その時点では世界最速だった」
という一過性のものしか残らないのだ。
ではなぜカタナが引っ掛かるのか。
それはカタナがレプリカではなく、オートバイだからである。
例えばFZR1000というオートバイがある。
このバイクは街乗りやツーリングに使うことを考えて作られた、
素晴らしい設計のバイクだった。
それがサンダーエースになり、R1と進化するにあたり、
どんどんとちがう方向へと向かっていった。
車高が高くなり、
タンクの幅もグッと広くなって足着き性が悪くなり、
ハンドルはより低くス テップは後退し、
高速道路をカッ飛ばすときや
本気になってコーナーを攻めるとき以外にはただ単に疲れるだけの、
前につんのめるようなスタイルを強要されるようになってしまった。
なぜ?
答えは簡単、
よりレーサーの設計に近づけて、
レーサーのように速く走れるようにするためである。
ここに、オレとの考え方の差が生じてしまう。
ハーレー乗りはハーレー乗りであり、
単に『バイク乗り』とは呼べないものがあるというのと同じで、
レーサーレプリカはレーサーレプリカであり、
単に『オートバイ』とは呼べないものがオレにはあるのである。
速さやスピードというものは確かにバイク乗りにとっては
ある面かなりの比重を占めている、ということは否定しない。
しかし、オートバイという乗り物は、
決してそれだけでは計ることのできない乗り物なのだ。
ゆっくりと走れないもの。
ゆっくり走るとおもしろくないもの。
荷物を積むことができないもの。
二人乗りをする気になれないもの。
渋滞路を走る気になれないもの。
景色を見るのが疲れるもの。
ちょっとした砂利道を走っただけで悲鳴を上げるもの・・・。
このようなもののうち、
問題点が多ければ多いほど、
オートバイという乗り物はどんどんと自由を奪われ、
その行動範囲を狭められていく。
先に書いた初期型のFZR1000は、
レプリカタイプに分類されるとはいうものの、
限りなくオートバイに近い条件を残したレプリカだったのである。
カタナは最初 からそうなることを否定していた。
大馬力、OK!
大加速、OK!
だけどオレはオートバイだぜ。
サーキットから出て来た、特殊車両じゃねぇんだ! と。
そこがオレの最も気に入っている部分だった。
「見たこともなような斬新なスタイルをしているが、
それは決してサーキットから生まれたものではない。
ストリートの世界からである」
というところが。
東本昌平がキリンの主人公をカタナに乗せた理由もそこにある。
「もっと速いバイクに乗せるつもりはなかったのか?」
という問いに対して、奴はこう答えた。
「だってよう、GSXRの1100とかに乗せちまったら、
一発で勝負が着いちまうじゃねぇかよ」
そうなったらクルマのほうも、
もっとすごいのを出さなければならなくなってしまう。
そうなったらもう収拾がつかなくなるだろうよ・・・と。
速さだけを追求して作られたレプリカではなく、
あくまでも速い「オートバイ」で勝負させる。
そこには当然ながら乗り手のテクニックや意地、ガッツ、
さらにはその人間の生きざままで介入してくる。
あの劇画がバイク乗りの間で伝説化されているのは、
そんな部分があったからこそのことだとオレは思っている。
そしてそれは、
東本昌平が漫画家では唯一無二とも言えるほどの
本物のバイク乗りであるからこそ初めて描けたものなのだ。
そう、バイク乗りとはどうであるべきかということが、
分かっているからこそ。
オートバイという乗り物はエンジンがでかければ、
パワーがあれば速いという乗り物ではない。
こんな例を挙げてみよう。
モトク ロスという競技がある。
以前はここに500ccというクラスが設けられていた。
500ccといえば250ccの倍である。
当然パワーの面では250ccとは比較にならないほどの
圧倒的優位性を持っていたクラスである。
ところが今は、そのクラスはない。
なぜか?
結果的に言うならば、およそどんなコースで勝負しようと、
250ccに勝てないからである。
これはある程度のパワーを超えてしまったらあとは乗り手、
人間そのものの勝負なのであるということを
端的に表している、良い例といえよう。
カタナ。
こいつにいま新車の状態で乗れるということ。
それは自動車で言うならば、
240ZGの新車状態での復活であり、
長期に渡っての継続販売でもある。
それも肝心な部分においては現代の加工精度で、技術レベルでの。
(それは例えば10年前にはキャリパーの変更やパッドの材質変更であり、
6年前にはクラッチのパワーアシスト化、Rショックの変更。
そして今回ではFブレーキの強化、フレームの強化、
チューブレスタイヤの採用などなど・・ ・)
自動車の連中にしてみたら
「こんなことがあってもいいのだろうか?」
というような、夢のような話しである。
だがあるのだ、オレたちバイク乗りの世界には・・・・!
欲しくて欲しくて買えなかったカタナ1100。
あれからおよそ20年もの歳月を経て、
いま オレの目の前にあるのはその最後の1台である。
驚くべき早さで完売され、
スズキの社内に秘蔵されていた本当に世界で最後の1台、
シリアルナンバー・0000番。
さまざまな思いを駆け巡らせながら、最後にインプレを書こう。
押したとたん、跨がって起こそうとした瞬間
「ああ、鉄でできてらあ!」とオレは思った。
アルミニウムという単語は倉庫に仕舞ったまま火を入れて吹かす。
ズオッ! という重い排気音を轟かせ、微振動がフレームを走る。
現代のレベルにおいても極めて軽いレベルに入るクラッチを切り、
正反対に堅いギアーを1速に叩き込みスタートする。
ヒュン! とは吹け上がらず
ここでもあくまでもズオッ! という感じでエンジンは吹け上がり、
カタナは豪快に加速していく。
最新型のスーパーバイクに乗り慣れてしまっている人には
それは音だけが先行し実際の車速が伴っていないように
感じられるものかもしれない。
だが、カタナはこれでいいのだ。
「人間の限界に限りなく近づいている」
そう、カタナはこれでいいのだ。
ブレーキも4ポットになりながら、
驚くほど緩慢な効き方しかしない。
コーナーでも重さを感じさせる。
「そいつをなんとかして、おまえが、 乗り手が性能を上げるんだよ」
もし口をきけたなら、コイツはきっとそう言ってくるだろう。
そして最後にこう付け足すことだろう。
「それが 、バイク乗りってもんだろうが」と。
キャプション
ブレーキ
フロントブレーキは対向4ポットキャリパーとなり、
ディスク板も275mm径から300mm径へと拡大されると同時に、
フローティング化も なされた。
・・・それでも効きは20年前のレベルに感じられたというのは、
いったいどういうわけなのだろうか?
タイヤも前後共 にチューブレスになった。
ハンドル
1100カタナの象徴は、ある面ではこのレーサーのような
セパレートタイプのハンドルにあったといっていいかもしれない。
後から発売された国内仕様の750は、認可の問題でこれが実にかっこ悪い
アップハンドルにされてしまっていたため、
みんな1100のものに付け替えていたのだが、
折りからの暴走族対策の『変形ハンドル』の取り締まりのアオリを食らい、
『カタナ狩り』と呼ばれた取り締まりで キップを切られた連中の数知れず。
僅かな面積ではあるが、バイザーは効果絶大なものがある。
ステップ
ステップまわりは溶接でのフレーム直止めからボルト止めへと変更された。
ここは以前から、社外品のマフラーを取り付けるときに
みんな頭を抱えていた部分なので大助かりとなるハズだ。
また、スイングアームのピボット部分のフレームにも補強が追加され
剛性が高められている。
スイッチ
左側面のタンク下にある丸い大きなダイヤル状のものはチョーク。
動かせる範囲が大きいのでかなりの微調整が可能となっている。
2つある黒いスイッチは、以前には1100のみにオプション設定されていた
シートヒーター(!)のスイッチだが、
現在では何にでも使える予備の汎用スイッチとなっている。
右側も同じデザインで処理されているので、左側のスイッチを流用すれば
計4点の電装品のオン・オフに使える。
シート
カタナが『レプリカ』ではなく『オートバイ』であることを
最も強く主張しているのはこのシートの部分でないだろうか。
ライダー股ぐらの収まり、後ろに乗る奴の乗り易さとを巧みに兼ね備えた
デザインのコイツは、ひとりで飛ばすときも、2ケツして走り回るときも、
荷物を積むときもまったく問題なし。
面積もでかいので長距離を走ってもケツが痛くなりにくいと、良いことずくめ。
オートバイのシートとは本来こうであるべきだ、と強く感じさせられる部分だ。
当然キーロック式だが、外しても中には何も入るスペースはない。
ちなみにこのシートベルトはフレームにボルト止めされており、
シートを外す場合はズレ止めのホックを外してから後ろに引き抜くようにして外す。
シリアルナンバー
表面に削り加工が施されたアッパーブラケットの右側にある、
このファイナルエディションだけに与えられた『シリアルナンバー』。
製造台数は排気量と同じ1100台のみなので、
1100番がこの世で最後に出荷されたものとなる。
誰の手に渡ったのだろうか。
この『0000番』はスズキ秘蔵の、まさに虎の子の1台だ。
MB 2000.5月号