ここで最初に言っておきたいことがある。
もしかしたら、
「佐藤信哉という人間は、地元の警察ではかなり知られた存在であり、
警官たちとはかなり融通の効く間柄なのではあるまいか?」
などと勝手に思い込んでいる人が、少なからず、いるのではないだろうか。
断っておくが、そんなことは、まったくない。
せいぜい、近所の交番に勤務している、ほんの数名のみが、
「なにやらバイクのたくさん置いてある家だな」
という程度の認識を持っているに、過ぎないのだ。
オレがどんな職業をしている、何者なのか、などということは、
まったく知らない。
だから当然、顔も効かなければ、なんら特別な扱い
(悪い意味で言えば目をつけられるだの、良い意味で言えばバイクのこと
を聞きに来るだのってことだ)
も、まったくされることはない。
つまり、オレはこの原稿を読んでくれている、ほとんどの人達と同じ、
「どこにでもいる一般人」という立場で、この一件と対峙したということを、
知っておいてもらいたい。
もし・・・違う部分があるとすれば、それは、バイク泥棒は絶対に許さない
という強い意志と、頭を働かせ、極めて冷静に動いた、という部分のみだ。
あったこと。起こったこと。言ったこと。言われたこと。
そして自分自身がやったこと。これらのすべてを、オレはありのまま伝える。
しかし。犯人がまだ未成年者であるということ。学校の事情で、伜の名前は
無論のこと、住んでいる地域が特定されるようなことも避けたいということ。
さらに、結果的に警察の手で犯人を逮捕できなかったとはいうものの、
自分たちなりに一生懸命やってくれた警察官のプライバシーは、やはり守る
べきだとオレ自身が考えているということ、などが絡み、地名や個人の
名前等の固有名詞、そして場所が特定できかねない記述は、用いない方針で、
以下の原稿を書き始める。
あれは伜が、明日からいよいよ待望の夏休みに入るという直前の、
7月 21日、金曜日のことだった。
事務所で締め切りギリギリの原稿を必死になって書いていると、突然、
深刻な顔をした伜がふらりと入って来た。
「どうしたんだおめ」
「・・・スティード、かっぱらわれた・・・」
なんだと?
伜は眉間に皺を寄せ、うつむいて、下唇をじっと噛み締めていた。
「いつやられたんだ」
「うーん、たぶん、きのうの夜中の2時か3時頃だと思う」
「それで、いつ気が付いたんだ」
「朝、学校行くとき・・・。で、ずっとやべえな、やべえなと思ってて、
それで学校終わってすぐ来たんだけどさあ・・・」
このスティードとは、一度オレが買ったものを伜に譲り、
その後デイトナ製のパーツをフル装備したものだ。
そして、その大改造した状態で正規に車検を取得するまでの過程を、
ミスターバイク誌に掲載したものである。
完済したら名義を変えるという約束で伜に売ったものであるから、
所有者は、いちおうオレということになるのだが、実際は、
伜が日常的に乗り回していたものだ。
伜は学校がひけると、近所のスタンドで夜遅くまでバイトし、一生懸命
かねを貯め、毎月毎月、ひいこらいってオレに、高校生にしてはかなりの
高額に値するローンを払っていた。
伜よ、夏休みに入ったらどっかツーリングでも行くべーよ!
ああ、いいねえ、うん、いいねえ、でもおやじ、俺かね全然ねえよー。
ばか、一生懸命働いていりゃあ、そのぐらいオレが出してやるよ、
心配すんなって。
うーん、悪いねぇ、おやじ・・・。
河原や砂浜をいっしょに走り回ったり、近所をちょろっと走り回ったり
したことはいままでにも何度かあったが、これが免許を取ってからの、
事実上の初めての、いっしょのツーリングとなるはずであった。
オレは実は、それをものすごく楽しみにしていた。
てめぇの伜と、チョッパーを飛ばして旅をする・・・。
いったい何年それを夢見ていただろう。
そいつがこれで、オジャンになったってわけだ。
「心当たりは、あるのか」
「いや、ない・・・」
「警察に届けたか」
「いや、まだ。とにかく早くおやじに知らせようと思って、学校の帰りに
直接来ちゃったから・・・」
「じゃ、とにかくすぐ交番に届けに行こう」
オレと伜は近くの交番へと足を運び、まずは被害届を出した。
「あれ、お宅・・・」
実は、1年ほど前にもこのスティードは、盗難に遭っていた。
そのときは、伜が夜中に近所のコンビニの裏路地に停めておいたのを、
ちょっと目を離した隙にかっさらわれてしまったのであるが、居合わせた
伜の友達数人とオレで近所を捜し回っているうちに、用水路のわきの
暗がりに、鍵穴を壊されて放置されているのを見つけだして、なんとか
事なきを得た。
このとき届けを出したときにいた巡査が、交番に、たまたまいた。
今回は、まだ20代前半に見える、別の若い警官が受け付けた。
「バイクの特徴は?」
マフラーからフロントフォークから大改造をしてある旨を告げ、オレは
詳しく説明した。
警官はだんだんと背もたれに寄りかかるように座りだした。
「うーん・・・あんまりそういうことは、言わないほうがいいんじゃない
ですかねえ・・・」
「なんで?」
「そういう改造というのは、違法でしょう。まずいんじゃあないですか」
「いや、これはこの状態で構造変更という手続きを取り、正規に車検を
受けている合法車です」
オレはまた、その旨を詳しく説明した。
「なるほど、そうでしたか。分かりました。
さっそく手配しておきましょう」
警官は態度を改め、届け出を受理した。
「ごめんな、おやじ」
「なに謝ってんだよ」
「いやあ実はさ、2、3日前に、ハンドルロック壊されてるの気がついた
んだけど、そんで、明日休みだから買いに行こうと思ってたんだけどさ。
だから、オレも少しは悪いかな、と・・・」
「なにが悪いんだ。仮にロックが壊されていようが、いまいが、おめえが
悪いことなんか、これっぽっちも、ねぇじゃねぇか。そうだろ?」
「・・・うん、まあ、そう言ってくれるとうれしいんだけど・・・」
「こんなものはなあ、かっぱらったやつが、百のうち百悪いんだよ。
ここはアメリカじゃあねぇんだ・・・!」
オレはそう言って、伜を励ました。
「それで、これからどうするよ、おやじ」
「どうもこうも、とにかくいまからすぐに、探す。おまえ、
このあたりをチャリンコで探せ。オレは、バイクで動く!」
警察任せにしてはいられない。バラされたが最後。
このタイムロスが命 取りになるかもしれないのだ。
オレのところには、たまたま、取材で使う予定だった、ディグリーが
置いてあった。
小さくて、ハンドルがガバッと切れて、エンジン音が静かなこいつは
路地を探索するには絶好なバイクである。
さて、まずどうするか。
オレは盗まれた状況、車種からして、やったのはおそらく10代の
チンピラ小僧だろうと目星を付けた。
停めてあったのは、仕事場としているオレの事務所から、
直線距離にして僅か100mほどしか離れていない、マンションの
駐車場だった。
それも、ロックを壊されたのに用心して、最奥の、部屋の窓の
すぐ前にである。
プロならば、ロックを壊すと同時に即座に運び去って行く。
窓のすぐ近くでロックを壊す物音を起てる危険も、犯さないだろう。
ということは、かっぱらって行ったやつは、すでにロックが壊れている
ということを、知っている者であり、同時に、そいつは平気で2度でも
3度でもやって来る、無神経なやつということを遠からず証明している
とも解釈できる。
つまり、深い思慮のない、チンピラのバカだ。
それでバカというものは、バカであるがゆえに、ふつうの人間ならば、
もし、ああしたらこうなるだろう、ああなったらこうなるだろう、などと
いうことは考えずに行動を起こすため、意外とやりそうなパターンが読め
るものなのだ。
よく『なんでこんなバカなことをやったんだ』というような犯人が、
呆気なく検挙されてみんなの笑い者になることがあるが、
そういうやつを捜し出すときの基本法則も、実はほとんどこれなのだ。
つまり、常識的に考えるならば、「張り込まれているに決まっている」
から、やばくて近づきそうにない場合でも、バカはバカゆえに、
そんな深い思慮など持たないのである。
仮に持ったとしても、そんな配慮は長続きしない。だからこそ、
見張っているところへとノコノコと現れて、それみたことかと、
見事に捕まって しまうのである。
では、バカの思いつきそうなことは、なにか。
オレがもし、そのバカだったら、
取り敢えずかっぱらってから、どうするか。
「オレだったら」と考えてはいけない。
もし本当にオレがやるのであれば、まずシャッター付の車庫の中とか、
絶対に人目の着かないところに隠してしまうだろう。
しかしその前に、そんな頭があるならば、そもそもバイクを盗むなどと
いうバカげたことなど、やりはしないという事になり、話など成り立たなく
なるからだ。
やったのは、深夜である。
マンションから出て、まずどっちへ行ったか。
前の道は一方通行だ。
ならば、押すにしても、心理的にその許可された通行方向に向かう、
と考えるのが妥当だ。
なぜなら、仮にそのときにクルマが来たとしても、ヘッドライトに
照らされるのは背後だけ、最も見られたくない顔を照射されるのを、
避けることができるからだ。
そういう心理的な警戒心は無意識のうちに働くものだ。
したがって、ここは左だと考えよう。
では、次にどうするか。
やはり、犯罪者の心理、やっている事の負い目から、できるだけ早く
狭い路地へ、できるだけ暗いところへと入ろうとするだろう。
それも、反対側によほど条件のいい場所でもない限り、大通りを渡る
という冒険をせず、まずは左側へ入り込む、と考えるのが妥当だ。
・・・この調子でオレはある程度の方向性の狙いを絞り、そこから円を
描くようにして、シラミ潰しに怪しい場所、いかにもバカがバイクを隠し
そうなところをあたって行った。
とにもかくにも、捜して、捜して、捜し回った。
路地から路地へ。
公園から公園へ。
ガード下。駐車場。
ビルの裏側。
橋の下。
ほとんどがローかセカンドのトロトロ走りだから、
クラッチを握る回数も、尋常ではない。
ぶっ続けに3時間ほど捜し回っていると、さすがに左手が言うことを
利かなくなってきたので、オレはいったん事務所へと戻った。
伜も戻っていた。
「おやじ、どうだった?」
「いや、だめだ。おまえのほうは?」
伜は黙って首を振る。
ここでオレはまた、やむを得ず原稿を書き始めた。
なにしろ今日はもう21日、締め切り日をとっくに過ぎている。
締め切り日を過ぎてから入れるということは、 印刷所から
仮刷りされてきた 見本をチェックできなくなってしまうこととなり、
校正ミスや誤植による、みっともないページが生み出されることとなる。
ところが、これがなかなか手につかない。
このとき書いていたやつは、9月号に掲載した『ファイアー・ロード』の、
赤ボタルのやつだった。
基本的に笑い話の内容であるから、文章もそうなるよう心掛ける。
つまり、自分も楽しい気分でないと書けないようなやつだ。
ところが3行も書くと、たちまちかっぱらわれたことが頭の中で鎌首を
もたげ始め、そいつを台なしにする。
これにはほんとに参った。
いくらやっても書けない。
書けるわけがない。
何しろ、かっぱらったやつは、いまのいま、パーツを外そうとレンチを
ふるっているかもしれないのだから。
オレはちきしょうと表へ出て、またバイクに飛び乗った。
日付が変わり、時計の針は午前1時を指していた。
つづく