谷田部のマユミ

ヘルメットのテストで訪れた、谷田部の高速周回路。
そこで突然マユミは言い出した。
「あ、あ、あたしも、乗りたいよう!
 乗りたいよう!」

 

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「シンヤさん、今度新型のヘルメットを開発したのです
が、実はその最終テストを谷田部で行うので、もし、お
時間が取れるようでしたら、御同行願えませんか?」

 それはショウエイ広報部からの電話だった。

 風洞試験その他はすべて終了したということで、残る
最も大切な「実際に被って走って行う生のテスト」を行
う、ということだった。
 当然の話である。
 いくら風洞の中で気流の流れを測定し処理しようと、
高性能のマイクを仕込み、100数10Km/h 相当の気
流を当てて、データを拾い、風切り音の対策を施そうと、
それは所詮は、実験データなのだ。
 最終テストは生身の人間が行う。
 これは人間が扱うという物の、物作りの絶対的な鉄則
であり、ましてや、この場合は人命に拘わる製品での話
なのだ。
 世界に冠たるヘルメットメーカーとしては、ここは徹
底せざるを得ない。

 ちなみに、この新型のヘルメットとは、のちに一世を
風靡することとなる、ジェットタイプの傑作・J - FORCE
である。
 このとき、オレはこのJ−FORCEの、「GOD SPEED
バージョン」のデザインを手掛けていた。
 だが、それとはまったく別な部分での話で、オレはふ
たつ返事でOKしていたのだった。

(谷田部? こりゃおもしろそうだ!)

 オレは、メーカーや雑誌社が主催するテストだのなん
だのには、まったくと言っていいほど顔を出さない人間
なので、ここを走るのは初めてのことだった。

 時は1996年、3月。
 あの『オーバー300Km/h』から7年後のことである。
 その思いがふと脳裏を横切ったのだった。

 

 早朝現地に着くと、すでに20名前後の関係者が顔を
揃えていた。
 広報の人間に、多数の技術者。
 そして、数名のテストライダー・・・
 ショウエイは万全の布陣で最終テストの態勢を整えて
いた。

 それを裏付けるかのように、オートバイも、10台前
後も用意されていた。
 アメリカンからネイキッド、レーサーレプリカまで、
それは多種に渡っていた。

 その中には、GSX−Rの1100も1台用意されて
いた。もちろん、フルパワー仕様のやつだ。
 超高速域のテスト用に持ち込まれていたやつだった。
 オレはこのGSX−Rから目を離さなかった。
 そして、出番が来るや否や、そいつに打ち跨がった。

 通称、谷田部。
 正式名称は、財団法人・日本自動車研究所。
 237万平方メートル、つまり約72万坪近い広大な
敷地内に、あらゆる路面状況・走行速度に対応した数々
の試験路を備える、公的な試験施設である。
 そのなかでも最も有名であり、オレたちにとっても馴
染み深いものが、45度ものバンク角を持つ、高速外周
路であろう。

『谷田部』と言えば、通常はこのことを指す、と言って
も良いぐらい、それはここの代名詞となっている。

 全長、5500mの楕円形のコース。
 両端に400R、つまり半径400mで弧を描くコー
ナー。
 その間を結んでいる直線部分のスパンが約1.5km。
 幅は12mで、走行速度に応じた形で3レーンに分け
られている。
 当然、最も外側を走るのが、最速レーンである。
 最も内側を走り、万一膨らんでいった場合の余裕を、
外側に取っておく・・・という考えでは設計されていな
い。
 超高速で走る車両は、最初からバンクの最も上部であ
り、最も傾斜のキツい部分に、へばり付くようにして走
る。
 そのために、バンクは一定角にはなっておらず、すり
鉢状にされている。
 その最大傾斜角が、45度なのである。
 ちなみに、45度の角度が付いているため、ガードレ
ールは逆向き、つまり内側に向かって45度の角度で取
り付けられている。

 ふつうの川の土手が、実は30度に満たないというこ
とを考えると、これがいかに強烈な角度か想像もつくで
あろう。
 とても歩いては登れないほどである。
 実際、バンクの上で記念写真を撮ろうとしたときに、
走って駆け上がろうとしたのだが、どう勢いを付けても
上がり切れなかった人間が、続出したほどである。

 まあ、こんなに角度がついているからこそ、超高速で
もそのままアクセルを開けっ放しにして、『直線を走る
ことの延長線』として突っ走ることができる、というわ
けなのだが・・・。

 しかし、だ。
 理屈ではそうなのかもしれないが、だ。
 実際に、道の続きは、左へと大きく曲がっているので
ある!
 実際には、曲がっているのだ!

 そこに200Km/h を遥かに越えたスピードで突入して
行くのである。
 こっちの感覚・・・生身の人間の、まともな、正常な、
決して狂ってはいない人間の感覚からすると、
「バンクが付いていようが、なんだろうが」
「なにをどう言われようが」
 そのスピードでコーナーリングをおっ始める、そうと
しか思えないので、ある!

 それも、曲がっているなどと言う、生易しいものでは
ない。
 スピードがスピードなので、マジで
「コーナー」
 ではなくて、
「直角に近いL字カーブ」
 のように見えてしまうのである。

 例えば、だ。
 400Rクラスのコーナーであるならば、東名高速の
大井松田あたりには、ざらにある。
 あのあたりのコーナーに、
「絶対にアウト膨らんで行かないように仕掛けがしてあ
るから、おまえ、安心して200Km/h で突っ込め」
 と、言われているようなものだ。

 そんなことを言われたら、理屈は分かっていたとして
も、誰だってビビるだろ。

 さらに、だ。
 このときは『ジェットヘル』を被ってやったわけだか
ら、250Km/h を超えたあたりから(実際はもう少し
手前からだが)、あの300Km/h の時と同じように、
空気抵抗で猛烈にメットが押される、あごひもで貧血起
こすほど首引っ張られ、鼻なんかベッタンコになるまで
潰れる・・・というのに加え、さらに、
『シールドに押された無線機のマイクが、歯が痛くなる
ほど押して来る』
 という、拷問まで加わった。

 それで、オレは「うわあ、こりゃたまらん!」と、
ついアクセルを戻してしまったのだが、同時に、
(ああ、アウトバーンでベンツのハンマーバージョンと
約100キロもの区間、オレはこんなことをやっていた
んだよなあ・・・)
 と思い出し、苦笑いをしてしまったのだった。

 

 それで、よし、じゃあ今度は、フルフェイスに代えて
もう一丁やってみるか、と一度ピットに戻ると・・・・。

 GOD SPEED側の広報として同行していたマユミ
が、見ているうちに興奮してしまったらしく、騒ぎ始め
ていた。

「いいな、いいなあ、いいないいなあ。アタシも乗りた
いなあ。いいないいなあ。いいな、いいなあ、GSXR
いいないいなあ!」

 予定外のリクエストに目を剥くショウエイスタッフを
よそに、マユミはピョンピョン跳び跳ねていた。 

           つづく